SNC発足前とは? わかりやすく解説

SNC発足前

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/30 14:40 UTC 版)

カンボジア最高国民評議会」の記事における「SNC発足前」の解説

1987年に始まるカンボジア和平交渉において、争点一つ総選挙前の政権解体問題であったヘン・サムリン政権は、同政権下における選挙の実施主張し、反ベトナム三派は同政権解体と四派暫定連合政府による選挙の実施主張していた。1988年7月第1回ジャカルタ協議において、ヘン・サムリン政権フン・セン首相は、シハヌーク議長とし四派で構成される民族和解評議会」を設置して、同評議会選挙実施する譲歩案を示したが、政権解体拒否した一方シハヌーク総選挙前の四派連合政府樹立と、政権行政機構維持して徐々に四派体制移行する譲歩案を提示したが、合意には至らなかった。 最高国評議会 (SNC) 設置案は、1990年1月国連安保理常任五ヶ国によるカンボジア問題次官級会議生まれ同年2月ジャカルタにおける「カンボジア問題非公式協議」においてオーストラリア用意した作業文書示された。文書によれば(1)四派が全政府権限主権象徴機関「最高国評議会」に委託して(2)評議会は全政府権限国連事務総長移譲し(3)事務総長国連事務総長特別代表通して権限行使する、というものであった。これにより、「ヘン・サムリン政権存続か、四派暫定政府樹立か」という対立点を回避しようとした。 1990年6月開催された「カンボジアに関する東京会議」において、新国家発足まで主権代表機関としてのSNCを、ヘン・サムリン政権と三派政権同数メンバー構成ことで合意するポル・ポト派は同会議ボイコットしたが、中国説得により譲歩し9月にはシハヌーク議長とすることを条件ヘン・サムリン政権6人と三派政権6人の構成受け入れ、これにより9月10日SNC発足した

※この「SNC発足前」の解説は、「カンボジア最高国民評議会」の解説の一部です。
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