SNCとの合併
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/05/07 15:06 UTC 版)
「シッキム人民会議派」の記事における「SNCとの合併」の解説
以上のようなSJCの立場には、パルデン・トンドゥプだけでなくインド政府も不快感を覚えた。そこでインド政府はパルデン・トンドゥプと交渉し、SJCの勢いを削ぐためと説得してカジ・レンドゥプ・ドルジの帰国・大赦を認めさせた。こうしてインドの力を借りてドルジは帰国し、SNCは体勢を立て直すことになった。こうして1973年の第5回参事院選挙が実施されたが、SNCとSJCは相討ちする形でそれぞれ5議席、2議席に終わり、唯一の親国王派となったSNPは11議席を獲得する圧勝を収めている。 この結果に衝撃を受けたSNCとSJCは、同年3月より「不正選挙」を主張して選挙のやり直しを求めるデモを首都ガントクで開催し、さらに両党による共同行動会議(Joint Action Council)を結成した。パルデン・トンドゥプはこれを無視、3月27日にはSJC総裁のK. C. プラダンを逮捕した。更に4月に首都ガントクのデモを武力鎮圧したところ、カジ・レンドゥプ・ドルジらSNC・SJC最高指導者はデモ参加者を見捨ててインディア・ハウス(インド駐在行政官の公邸)に逃げ込んだ。 ところがSNCやSJCの若手指導者たちは屈さずに地方で武装蜂起し、次々と人民政府を樹立していく。ついにパルデン・トンドゥプは事態を収拾しきれなくなり、インドに介入を依頼、最終的に5月8日にインド、パルデン・トンドゥプ、SNC・SJC・SNPなど政党の三者による新しいインド・シッキム協定が結ばれた(1973年三者協定)。これによりシッキムはますます属国化することになる。協定締結直後にSJCとSNCは、参事院に代わり新たに創設されるシッキム立法議会(英語版)(選挙議席30)の選挙に向けて合併し、新たにシッキム会議派(SC)を結成した。
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