SERとの関係悪化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 10:01 UTC 版)
「ロンドン・ブライトン・アンド・サウス・コースト鉄道」の記事における「SERとの関係悪化」の解説
サウス・イースタン鉄道(英語版)(SER)とは1848年に覚書を交わしたが、その解釈を巡る争いによって関係が悪化した。1863年には関係悪化が頂点に達し、SERは同年に株主向けに発行した資料において2社間の困難な関係性とLB&SCRが覚書の内容を破ったとする根拠を延々と書き連ねた。 主な意見の相違点としては、ヘイスティングス駅周辺、ヴィクトリア駅へ向かう線路のロンドン・チャタム・アンド・ドーバー鉄道(英語版)(LC&DR)への使用許可、LB&SCRのブロムリーへの支線計画、LB&SCRのドーキング(英語版)への新線計画、SER西端への新線建設計画に対するLB&SCRの反対運動、ブリックレイヤーズ・アームズ駅(英語版)の貨物エリアをLC&DRに使用させる許可に対するLB&SCRの合意、レッドヒル(英語版) - クロイドン間で共有している本線についてなどである。 特にケイターハム鉄道(英語版)を巡っては、両者の対立が顕著に現れた。同鉄道はSERの管轄地域を走っていたが、LB&SCRのゴッドストーン・ロード駅(英語版)でブライトン本線に接続していた。両者は互いに相手の会社が支線を運営することに反対したため、工事完了から1856年の開通まで1年の遅れが生じた。また乗り継ぎチケットなどについても合意しなかったため、ケイターハム鉄道はすぐに倒産してしまった。その後1859年にSERが運営を引き継いだが、それ以降も両者の抗争が続き乗客に多大な不利益をもたらした。最終的にこの対立は1862年にタイムズ紙に取り上げられるほどになったが、それでも話し合いは行われなかった。 その後セント・ジョンズ駅(英語版) - トンブリッジ駅(英語版)間にセヴノークス短絡線が建設され、1868年5月1日サウス・イースタン本線(英語版)のルートからイースト・クロイドン駅(英語版) - レッドヒル駅間の共用部分が外れ、同区間の混雑が解消された。また1869年2月1日には両社の間で、駅とクールズドン(英語版)への路線の使用に関する10年契約が結ばれ、10年後に更新された。
※この「SERとの関係悪化」の解説は、「ロンドン・ブライトン・アンド・サウス・コースト鉄道」の解説の一部です。
「SERとの関係悪化」を含む「ロンドン・ブライトン・アンド・サウス・コースト鉄道」の記事については、「ロンドン・ブライトン・アンド・サウス・コースト鉄道」の概要を参照ください。
- SERとの関係悪化のページへのリンク