コンスタンティネスク
1.出身・主たる活動をした国
ルーマニアの作曲家。
2.学習・師事暦
ブクレシュティ音楽院にて、音楽理論をニコレスクに、和声をカスタルディに、作曲をジョラに、美学をククリンに師事。その後、ウィーンでF.シュミットやオスカル・カハスタ、マルクスにも師事した。カリキュラムにルーマニア民俗音楽やビザンツ聖歌の和声研究を採りいれた。
3.指導暦
ブクレシュティ教会音楽アカデミーで和声や対位法、作曲を教えた他、ブクレシュティ陸軍音楽高等学校の教授も務めた。
4.作風・手法
コンスタンティネスクの教会音楽の研究は、創作にもいかされ、その成果は合唱作品に顕著にあらわれている。全般的には、多岐にわたる素材と手法が特徴的で、なかでも変奏の技法を好んで用いた。また、作品の推敲を惜しまなかった。
コンスタンティネスクは、ルーマニア民俗音楽の楽器の音色を模倣したオーケストレーションなど、楽器の用法にも長けていた。
パウル・コンスタンティネスク
(Paul Constantinescu から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/10 03:26 UTC 版)
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基本情報 | |
生誕 | 1909年1月30日 |
出身地 | ![]() |
死没 | 1963年12月10日(54歳没) |
学歴 | ブカレスト音楽院 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | 作曲家 |
パウル・コンスタンティネスク(Paul Constantinescu、1909年1月30日 - 1963年12月20日)は、ルーマニアの作曲家。
経歴
プロイエシュティ出身。ブカレスト音楽院でディミトリエ・ククリン、ミハイル・ジョラらに学び、ウィーンではヨーゼフ・マルクスに師事した。1935年から1941年にかけて音楽アカデミーで音楽理論の教授を務め、その後ブカレスト音楽院で作曲の教授となった。オペラ作曲家として知られ「嵐の夜」などの作品がある。他に弦楽のための協奏曲、チェロと管弦楽のためのビザンツの主題による自由な変奏曲(1961)、ヴァイオリン協奏曲(1955)、ピアノ協奏曲(1952)、交響曲第1番(1944、1955改作)、ピアノのための小品(1952)、ビザンティン・クリスマス・オラトリオ(1947)などがある。
文献
- Tomescu, V. (1967): „Paul Constantinescu”. București: Editura muzicală
- Ionașcu, S.: „Paul Constantinescu și muzica psaltică românească”, București: Editura Institutului Biblic și de Misiune a Bisericii Ortodoxe Române
- Hârlav-Maistorovici, S. (2004): „Paul Constaninescu. Despre poezia muzicii”, Ploiești: Editura Premier.
脚注
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