Maria of Yugoslaviaとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > Maria of Yugoslaviaの意味・解説 

マリア (ユーゴスラビア王妃)

(Maria of Yugoslavia から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/07 14:05 UTC 版)

マリア・デ・ロムニア
Maria de România
セルブ・クロアート・スロヴェーン王妃
ユーゴスラビア王妃
在位 セルブ・クロアート・スロヴェーン王妃:1922年 - 1929年
ユーゴスラビア王妃:1929年 - 1934年

出生 1900年1月6日
ドイツ帝国ゴータ
死去 (1961-06-22) 1961年6月22日(61歳没)
イギリスロンドン
埋葬 イギリスウィンザー、フログモア王立墓地
セルビアベオグラード
配偶者 ユーゴスラビア王アレクサンダル1世
子女 ペータル2世
トミスラヴ
アンドレイ
父親 ルーマニア王フェルディナンド1世
母親 マリア・ア・ロムニエイ
テンプレートを表示

マリア・ア・ロムニエイセルビア語表記:Краљица Марија Карађорђевић, ルーマニア語表記:MărioaraまたはMaria de România, 1900年1月6日 - 1961年6月22日)は、ユーゴスラビア王アレクサンダル1世の王妃。

生涯

父はのちのルーマニア王フェルディナンド1世、母はイギリス女王ヴィクトリアの孫娘にあたるマリア妃。母方の祖父であるザクセン=コーブルク=ゴータ公アルフレートの住まいのあるゴータ(現在のドイツテューリンゲン州の町)で生まれた。母マリアが父フェルディナントと不仲であったため、マリアはフェルディナント1世の実子ではないとする説が強い。兄にカロル2世、姉にギリシャ王妃エリサベタ、妹にトスカーナ大公妃イレアナがいる。

1922年6月、セルブ=クロアート=スロヴェーン王国の王アレクサンダルと結婚。1929年に王国はユーゴスラビア王国と改名している。2人の間には3子が生まれた。

1934年に夫アレクサンダルが暗殺されると、長男のペータルが即位、マリアには1941年に王太后(Queen mother)の称号が贈られた。第二次世界大戦後、王国の崩壊とともにイギリスへ亡命。1961年にロンドンで没し、ウィンザー城近郊にあるイギリス王室の王立墓地フログモアに埋葬された。

2013年、長男ペータル2世の改葬に併せて、ペータル2世とその妃アレクサンドラ、三男アンドレイの棺とともに、マリアの棺もオプレナツの聖ジョルジェ教会にあるカラジョルジェヴィチ家の大霊廟に改葬されることとなり[1]、4月29日にフロッグモアに埋葬されていたマリアの棺がベオグラードに移された[2]。5月26日に、セルビア王族、トミスラヴ・ニコリッチ大統領やイビツァ・ダチッチ首相ら政府関係者、ヨルダン国王アブドゥッラー2世ケント公爵エドワード王子など海外の王族らが参列し、ペータル2世らの棺とともに大霊廟に改葬された[3][4]

脚注

  1. ^ “King Peter II State Funeral Sunday 26 May”. (2013年2月7日). http://www.royalfamily.org/?99,en_king-peter-ii-state-funeral-sunday-26-may 
  2. ^ “HM Queen Maria remains repatriated to Serbia”. (2013年4月29日). http://www.royalfamily.org/?178,en_hm-queen-maria-remains-repatriated-to-serbia 
  3. ^ “Royal Family, President of Serbia, Prime Minister, Serbian Church and Serbian People attend State Funeral at Royal Mausoleum in Oplenac”. (2013年5月26日). http://www.royalfamily.org/?202,en_royal-family-president-of-serbia-prime-minister-serbian-church-and-serbian-people-attend-state-funeral-at-royal-mausoleum-in-oplenac 
  4. ^ “Serbia reburies last Yugoslav king”. (2013年5月27日). http://www.nation.com.pk/pakistan-news-newspaper-daily-english-online/international/27-May-2013/serbia-reburies-last-yugoslav-king 

「Maria of Yugoslavia」の例文・使い方・用例・文例

Weblio日本語例文用例辞書はプログラムで機械的に例文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

Maria of Yugoslaviaのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



Maria of Yugoslaviaのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのマリア (ユーゴスラビア王妃) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
Tanaka Corpusのコンテンツは、特に明示されている場合を除いて、次のライセンスに従います:
 Creative Commons Attribution (CC-BY) 2.0 France.
この対訳データはCreative Commons Attribution 3.0 Unportedでライセンスされています。
浜島書店 Catch a Wave
Copyright © 1995-2024 Hamajima Shoten, Publishers. All rights reserved.
株式会社ベネッセコーポレーション株式会社ベネッセコーポレーション
Copyright © Benesse Holdings, Inc. All rights reserved.
研究社研究社
Copyright (c) 1995-2024 Kenkyusha Co., Ltd. All rights reserved.
日本語WordNet日本語WordNet
日本語ワードネット1.1版 (C) 情報通信研究機構, 2009-2010 License All rights reserved.
WordNet 3.0 Copyright 2006 by Princeton University. All rights reserved. License
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
「斎藤和英大辞典」斎藤秀三郎著、日外アソシエーツ辞書編集部編
EDRDGEDRDG
This page uses the JMdict dictionary files. These files are the property of the Electronic Dictionary Research and Development Group, and are used in conformance with the Group's licence.

©2024 GRAS Group, Inc.RSS