Jリーグ初年度の結果
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 12:30 UTC 版)
「1993年Jリーグ開幕節」の記事における「Jリーグ初年度の結果」の解説
1stステージを制したのはアントラーズだったが、2ndステージ及びチャンピオンシップを制したヴェルディだった。ヴェルディは開幕戦出場のみでエスパルスへと移籍した加藤久に象徴されるベテラン選手の離反が発生し、その煽りでマイヤーなどのオランダ人選手がシーズン途中で移籍するなどの内紛が響いてサントリーシリーズの優勝を逃したが、ビスマルクなどの獲得でブラジルにならった個人技重視のサッカーに戻してNICOSシリーズ(2ndステージ)に優勝し、1994年1月のJリーグチャンピオンシップではアントラーズを下した。その後、ヴェルディとマリノスが中心となり、他のチームが挑む構図が1995年シーズンまで続いた。 一方、この開幕節で無得点に終わったグランパスとレッズはその後も精彩を欠いた。5月22日の第2節で両者は対戦し、駒場スタジアムでの開催ながらアウェーのグランパスが3-0と快勝したが、リネカーは負傷による長期離脱なども起こし、1993年のJリーグではわずか1得点に終わった。結局、グランパスはサントリーシリーズ9位、NICOSシリーズ8位と低迷した。レッズは更に深刻で、開幕4連敗に加えて不振のモラレスやフェレイラが早々に移籍する状況となり、サントリーシリーズでは18試合でわずか3勝、NICOSシリーズではグランパス、ジェフと並ぶ5勝ながら得失点差で連続最下位という屈辱を味わった。両チームの成績向上は1995年を待たなければならなかった。また、グランパスはこの日以来、カシマスタジアムでのアントラーズ戦では21試合全敗(うち2試合は延長戦で同点後のPK負け)という極端に苦手なスタジアムとなった。「鬼門」とすら呼ばれたカシマでの連敗記録に終止符を打ったのは、チーム名を「名古屋グランパス」に改名した2008年の8月23日、22試合目だった(J1第22節、アントラーズ1-2グランパス)。
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