E-M理論とF-15とは? わかりやすく解説

E-M理論とF-15

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/24 03:20 UTC 版)

ジョン・ボイド (軍人)」の記事における「E-M理論とF-15」の解説

1961年ボイドジョージア工科大学入校し、生産工学学士号取得した。彼はここで物理学熱力学の2名の教授出会い多く示唆受けたその後不本意ながらフロリダ州エグリン空軍基地機体整備配置されたが、この期間中ボイドは、のちにエネルギー機動性理論E-M理論)として知られることになる画期的な理論創案した。これは、いわば熱力学考え方空戦理論導入したものであり、要すれば、戦闘機戦闘能力機体有するエネルギー量によって決定されるというものであったボイドは、同基地勤務する文官であったトーマス・クリスティの協力得てこの理論検証し外国技術センターコンピュータアクセスして、米機と仮想敵機の優劣について検討した。なお、このアクセス無断行なわれたため、のちに発覚した際には一時重大な問題となった1964年ボイドクリスティは、E-M理論完成させ、エグリン、ネリスなど様々な空軍基地航空機メーカーブリーフィング行い1964年末には戦術航空軍団TAC司令官スウィーニー大将空軍長官にもブリーフィング行った当時アメリカ空軍は新戦闘機FX)の開発向けた準備作業入っており、1965年4月にはコンセプト研究開始された。しかし、ベトナム戦争第三次中東戦争戦訓、そして後に1967年ドモジェドヴォ空港開かれた航空ショーソ連空軍防空軍新鋭機としてMiG-23MiG-25公開されたことを受けて議論紛糾していた。空軍参謀部は、この紛糾状態を収拾する手法としてボイドE-M理論着目し1966年ボイドF-X運用要求策定チーム発令された。 ボイドは、自らのE-M理論土台としたトレードオフ分析により、コンセプト研究思い切って見直こととした。このトレードオフ分析は、当時理想的翼型と見なされていた可変翼V-G翼)の棄却エンジンバイパス比からの再検討など、非常に思い切ったものであり、この結果機体重量27トンから18トン大幅に軽減された。これによって、FXコンセプト研究混沌状態は打破され1968年9月RFP英語版)が発出された。このFX計画は、最終的にF-15として結実することになった

※この「E-M理論とF-15」の解説は、「ジョン・ボイド (軍人)」の解説の一部です。
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