DeNA・GM
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2011年12月5日、横浜DeNAベイスターズがゼネラルマネージャーを新設したのに伴い、その初代GMに正式に就任。なお同日の就任会見の席で、監督就任を要請していた工藤公康の起用断念を発表した。この工藤との交渉で難航していた頃、高田はふと中畑清のことが頭に浮かび、自宅の柿の木になっていた甘柿を切ってママチャリのカゴに入れ、普段着のジーパン姿のまま自転車で中畑家を訪れると、『工藤の条件が厳しくて、もし破談になったら監督をやってみる気はあるか?でも、保険なんだけどな』と中畑に柿を渡しながら告げると、返事もまともに聞いていないのに翌日に中畑DeNA初代監督就任決定と出した。中畑は後に「今考えれば、あの甘柿が契約金だった」と語っている。 スカウト陣を駆使して三嶋一輝・三上朋也・山﨑康晃・関根大気等をドラフトで獲得するかたわら、それまでチームの中心選手だった金城龍彦らベテランを放出し若手重視の編成を行った。 2015年10月、最下位となった責任をとり中畑が監督を辞任したため、2011年12月 - 2013年10月にベイスターズに選手として所属していたアレックス・ラミレスを一軍監督に抜擢した。 高浦美佐緒(2012年 - 2014年二軍バッテリーコーチ)は「高田さんがGMになってやりやすくなった。若い選手を使うようになった。竹田(光訓…ファームディレクター・GM補佐)が厳しい目で選手を見極めそれを高田さんに推薦し一軍に上げて監督に使うように促してくれる。一軍は実績のある選手を使いたがる傾向がありますが、今は違います。高田さんから『怒鳴る指導はやめてくれ』と言われています。選手がやりやすい環境を作ってくれています」と語っている 。 2018年10月11日、球団から退任が発表された。25日に行われたドラフト会議では、1位指名がオリックス・ソフトバンク・広島と競合した小園海斗の抽選でくじ引きの場に立ったが外し、球団は上茶谷大河を獲得した。
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