DVDとBlu-ray Disc
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/06 06:11 UTC 版)
「ケイス・スホウハメル・イミンク」の記事における「DVDとBlu-ray Disc」の解説
1993年、東芝の技術者は、コンパクトディスクの後継となるSuper Density Discを開発した。イミンクはフィリップスとソニーの作業部会のメンバーであり、この陣営は競合するディスクフォーマットであるMultiMedia Compact Discを開発した。イミンクは、CDで使用されているEFMよりも効率的なEFMPlusを開発した。業界は、1980年代にVHSとベータマックスの間で起きたビデオ戦争の再来を恐れた。IBMの社長ルイス・ガースナーは、EFMの実績があることからイミンクのEFMPlusによる記録方式を採用するよう求めた。1995年9月、フィリップス・ソニー陣営は東芝のSuper Density Discを受け入れ、東芝はEFMPlusを受け入れるという合意がなされた。DVDには、音声専用のフォーマットとして、ソニーが独自に開発したSuper Audio CD(SACD)と東芝が開発したDVD-Audioがある。これらは、非常に高音質の音声コンテンツを配信するためのフォーマットで、双方の間には互換性がない。SACDとDVD-Audioの規格争いは決着がついていないが、どちらもまだオーディオCDを置き換えることには成功していない。 1996年にDVD規格が決着してすぐ、フィリップス・ソニー陣営はDVDで自分たちの規格が受け入れられなかったことに失望して、DVDの後継となる青色レーザーを使用した次世代のデジタルビデオレコーダー(DVR)を開発することを決定した。フィリップスとソニーは共同作業部会を立ち上げ、イミンクとその同僚はDVR(後にBlu-rayとよばれることになる)の符号化設計を担当した。設計から7年後の2005年、Blu-ray Discが発売された。2002年にDVDフォーラムはHD DVDという別のフォーマットを採用していた。この2つの規格は互換性がなかった。青色レーザーの規格争いは、2008年初頭に東芝がHD DVDフォーマットからの撤退を発表したことで、Blu-ray Discの勝利に終わった。
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