Blanco Pro Cycling Teamとは? わかりやすく解説

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ブランコ・プロサイクリング・チーム

(Blanco Pro Cycling Team から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/06/20 05:47 UTC 版)

ブランコ・プロサイクリング・チーム
チーム情報
UCIコード BLA
本拠地 オランダ
創設年 2013年
種目 ロードレース&シクロクロス
格付け UCIプロチーム
首脳陣
代表者 リシャール・プルッへ
監督 エリック・ブロイキンク
過去のチーム名
1984–1986
1987–1989
1990–1992
1993–1994
1995
1996–2012
クワンテュム
スーパーコンフェックス
ブクラー
ワールドパーフェクト
ノヴェル
ラボバンク
 
ユニフォーム

ブランコ・プロサイクリング・チーム(Blanco Pro Cycling Team、UCIチームコード:BLA)は、UCIプロチームに属する自転車競技チームである。メインスポンサーは暫く未定であったが、2013年のツール・ド・フランスより、ベルキンがメインスポンサーとなることが発表されている。サブスポンサーはジャイアント社。以前のチーム名は以前のメインスポンサー企業名の「ラボバンク」であった。

目次

概要

1983年まで活動していた、TI=ローリー(TI-Raleigh)がチーム内分裂により解散を余儀なくされ、同チームの主力選手であったヤン・ラースが中心となって、1984年に、クワンテュム・ハレン=デコソル=ヨーコ(Kwantum Hallen-Decosol-Yoko)を結成したのが当チームのルーツである。

その後、スーパーコンフェックス=ヨーコ(Superconfex-Yoko、1987年1989年)、ブクラー=コルナゴ=デッカ(Buckler-Colnago-Decca、1990年1992年)、ワールドパーフェクト=コルナゴ=デッカ(Wordperfect-Colnago-Decca、1993年1994年)、ノヴェル・ソフトウェア=デッカ(Novell Software-Decca、1995年)という変遷を経て、1996年ラボバンクとなる。

2012年10月19日、ランス・アームストロングのドーピング問題の余波を受けラボバンクが同年限りでのスポンサー撤退を表明。2013年、シンボルネームとして「Blanco(スペイン語で白の意味)」を採用し、「ブランコ・プロサイクリング・チーム」(Blanco Pro Cycling Team)と名称を変更した。同年のツール・ド・フランスより、ベルキンがメインスポンサーとなる。

当チームは、UCIワールドカレンダー(旧UCIプロツアー)を中心に活動するロードレースのトップチームの他、UCIヨーロッパツアーの活動が主体の下部組織である、ラボバンク・ディヴェロップメント(Rabobank Development Team)や、シクロクロス専門チームも抱えている。

チーム力の変遷

チーム結成当初は、アドリ・ファンデルプール(1996年)、リハルト・フルネンダール(2000年)がエリートで、スヴェン・ネイス(1998年、2005年にはエリートでも優勝)、テイス・フェルハーヘン(2002年)がU23で、それぞれ世界選手権を制したことで、シクロクロスにおける活躍が目覚しかったが、2001年UCI・ロードワールドカップで総合優勝を果たしたエリック・デッケルがきっかけとなってロードレースにおける活躍の場も広がり、エリックの他、レオン・ファンボンロビー・マキュアンマイケル・ボーヘルトカルステン・クローンらがツール・ド・フランスにおいて区間優勝を果たし、チーム力が次第に強化されていった。

2004年、現役生活の晩年に当チームの選手として在籍していたエリック・ブロイキンクがチームディレクターに就任すると、グランツールで総合優勝を狙えるチーム力を作り上げていくことになる。同年、2003年に加入したオスカル・フレイレが、自身3度目となる、世界選手権・個人ロードを制覇。

2005年、2003年に加入したミカエル・ラスムッセンが、ツール・ド・フランス山岳賞を獲得。そして、同年に加入したデニス・メンショフは、同年のブエルタ・ア・エスパーニャで総合優勝を果たした。そしてシクロクロスでは、ネイスが世界選手権をはじめ、他の3シリーズ大会でも総合優勝を果たし、シクロクロス史上初のグランドスラムを達成。

2006年、再びラスムッセンがツール・ド・フランスで山岳賞を獲得。またトーマス・デッケルが、UCIプロツアー対象レースとしては史上最年少となる21歳6ヶ月の年齢で、ティレーノ〜アドリアティコにおいて総合優勝を果たした。

2007年、ラスムッセンはツール・ド・フランス第16ステージまで総合首位を堅持し、チーム史上初のツール総合優勝制覇に王手をかけていた。ところが、同年6月、当チームに対し、抜き打ちドーピング検査で義務付けられている所在地を偽って報告していたことを理由に、同ステージ終了後に突然契約を打ち切る処置を取った。一方、同年のブエルタで、メンショフが2度目の総合優勝を果たし、チームに2度目のグランツール制覇をもたらした。

2008年、フレイレがツール・ド・フランスポイント賞を獲得。また、ラース・ボームがシクロクロス世界選手権で優勝。

2009年、名実ともにチームリーダーとなったメンショフが、ジロ・デ・イタリアで総合優勝を果たした。

2011年にメンショフが移籍した後は、ロベルト・ヘーシンクバウク・モレマステーフェン・クラウスヴァイクといった地元オランダの中堅選手達がステージレースで好成績を残した。

2012年USADA(英語版)によってランス・アームストロングのドーピング問題など、過去のUSポスタルチーム内部のドーピングスキャンダルが明らかにされ、これに関与していた選手やスポンサー、関係機関のみならず、その影響は運営・活動を行なっているチームにまでに波及した。ラボバンクは10月19日、2012年12月31日限りでの男女プロロードチームからのスポンサー撤退を発表した。

2013年、ラボバンクのスポンサー撤退に伴い、「ブランコ・プロサイクリング・チーム」(Blanco Pro Cycling Team)と名称を変更[1]。ラボバンク社は2013年度のチーム活動資金を確約しており、同チームはラボバンク名義ですでにUCIワールドツアーライセンスを更新済みであった。

2013年陣容

2013年5月23日更新
  • ゼネラル・マネジャー - ハロルト・クネベル
選手名 国籍 生年月日 前年所属チーム
ジャック・ボブリッジ オーストラリア 1989年7月13日 オリカ・グリーンエッジ
イェトス・ボル オランダ 1989年9月8日 ラボバンク・コンチネンタルより昇格
ラース・ボーム オランダ 1985年12月30日
テオ・ボス オランダ 1983年8月22日
マーク・ゴース オランダ 1990年11月30日 ラボバンク・コンチネンタルより昇格
グレーム・ブラウン オーストラリア 1979年4月9日
ステフ・クレメント オランダ 1982年9月24日
リック・フレンス オランダ 1983年4月11日
フアン・マヌエル・ガラテ スペイン 1976年4月24日
ロベルト・ヘシンク オランダ 1986年5月31日
ウィルコ・ケルダーマン オランダ 1991年3月25日 ラボバンク・コンチネンタルより昇格
ステーフェン・クラウスヴァイク オランダ 1987年6月7日
トム・レーザー オランダ 1985年12月26日
パウル・マルテンス ドイツ 1983年10月26日
バウク・モレマ オランダ 1986年11月26日
マーク・レンショー オーストラリア 1982年10月22日
ルイス・レオン・サンチェス スペイン 1983年11月24日
トム・スラフター オランダ 1989年7月1日
ブラム・タンキンク オランダ 1978年12月3日
ラウレンス・テン・ダム オランダ 1980年11月13日
マールテン・チャリンヒー オランダ 1977年11月5日
ヨス・ファン・エムデン オランダ 1985年2月18日
デニス・ファン・ウィンデン オランダ 1987年12月2日
マールテン・ワイナンツ ベルギー 1982年5月13日
ローベルト・ヴァーグナー ドイツ 1983年4月17日
セプ・ファンマルク ベルギー 1988年7月28日
デイビッド・ターナー オーストラリア 1984年9月30日
モレノ・ホフランド オランダ 1991年8月31日 ラボバンク・コンチネンタルより昇格
ラーシュ・ペター・ノードハウグ ノルウェー 1984年5月14日 チーム・スカイ

歴代陣容

外部リンク

脚注


「Blanco Pro Cycling Team」の例文・使い方・用例・文例

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