エリック・デッケルとは? わかりやすく解説

エリック・デッケル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 15:09 UTC 版)

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獲得メダル

エリック・デッケル
オランダ
ロードレース
オリンピック
1992 バルセロナ 個人ロード

エリック・デッケル(Erik Dekker, 1970年8月21日 - )は、オランダホーヘヴェーン出身の元自転車競技ロードレース)選手。現在はラボバンクのレースディレクター(助監督)。本名は、ヘンドリック・デッケル(Hendrik Dekker)。エリック・デッカーと表記するWebや雑誌もある。

経歴

1992年バルセロナオリンピック・個人ロードレースにおいて、ファビオ・カサルテッリに次いで2位に入る。同年プロに転向。1996年にラボバンクに移籍し、同年の国内選手権・個人タイムトライアル(ITT)を優勝。1997年、オランダ一周で総合優勝を果たした。

2000年シーズンは、自身にとって大活躍の年となった。ツール・ド・フランスの第8、11、17ステージを制覇。スプリンターを抱えるチームのコントロールによる集団ゴールが常態化し、ルーラーの活躍が見込めなくなった近年のツールでは逃げによる区間優勝は非常に困難であり、絶大な賞賛を受けた。さらに2度目のオランダ一周総合優勝に加え、こちらも2度目となる、国内選手権・ITTを制覇。さらに、クラシカ・サンセバスティアンも優勝した。

2001年シーズンも活躍が続き、アムステルゴールドレースを制覇や、ロンド・ファン・フラーンデレン2位など、クラシックレースで好成績を収め、同年のUCI・ロードワールドカップ総合優勝を果たした。また、ツール・ド・フランスの第8ステージも制した。また2002年シーズンも、ティレーノ〜アドリアティコにおいて総合優勝を果たし、3度目の国内選手権・ITT制覇を果たすなどの活躍を見せたが、2003年は怪我のため、シーズンの大半を棒に振る形となってしまった。

2004年、最後のオランダ一周総合優勝者となった他、初の国内選手権・個人ロードレース制覇、パリ〜ツール優勝などの実績を残し、復活をアピールした。その後、2006年シーズン限りで現役を引退。2007年、上述の通り、ラボバンクのチームスタッフとなった。

息子のデヴィッドもプロロードレース選手としてかつて自身が長く所属したラボバンクの後進チームであるチーム・ユンボ・ヴィスマに所属している。
また、息子のケルビン(デヴィッドの兄)は2020年から女子のアンダー23カテゴリのチームのスポーツディレクターを務め、2022年からはオランダ籍のコンチネンタルチームでスポーツディレクターを務めている。

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