AJフォイトとは? わかりやすく解説

A.J.フォイト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/06 13:35 UTC 版)

A.J.フォイト
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
生年月日 (1935-01-16) 1935年1月16日(90歳)
出身地 同・テキサス州ヒューストン
親族 A.J.フォイト4世(孫)
ラリー・フォイト(義理の息子)
チャンプカー・ワールド・シリーズでの経歴
活動時期 1957-1993
所属 ディーン・ヴァン・ラインズ・スペシャル
アンステッド-トンプソン・レーシング
ギルモア・レーシング
A.J.フォイト・エンタープライズ
出走回数 369
優勝回数 67
ポールポジション 53
シリーズ最高順位 1位 (1960, 1961, 1963, 1964, 1967, 1975, & 1979 (USAC))
選手権タイトル
1960
1960
1961
1963
1964
1967
1968
1972
1975
1975-76
1976-77
1978
1979
1979
USACスプリントカー・シリーズ チャンピオン
USACナショナル・チャンピオン
USACナショナル・チャンピオン
USACナショナル・チャンピオン
USACナショナル・チャンピオン
USACナショナル・チャンピオン
USACストックカー・チャンピオン
USACシルバークラウン・シリーズ チャンピオン
USACナショナル・チャンピオン
IROC チャンピオン
IROC チャンピオン
USACストックカー・チャンピオン
USACゴールドクラウン・チャンピオン
USACストックカー・チャンピオン
A.J.フォイト
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
F1での経歴
活動時期 1958-1960
所属チーム '58-'59 クズマ
'60 カーティス・クラフト
出走回数 3
タイトル 0
優勝回数 0
表彰台(3位以内)回数 0
通算獲得ポイント 0
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
最終戦 1960年のインディ500
テンプレートを表示

アンソニー・ジョゼフ・フォイト・ジュニアAnthony Joseph Foyt, Jr.1935年1月16日 - )は、アメリカ合衆国の元レーシングドライバー。一般的にはA.J.フォイトAJ Foyt )として知られ、インディ500における歴代最多タイ勝利などから、最も成功したアメリカ人ドライバーとされる1人である。現在はインディカー・シリーズに参戦するレーシングチーム、A.J.フォイト・レーシングのチームオーナー。

F1にも出走歴があるが、これは選手権開始年の1950年から1960年までの間は、インディ500が形式としてF1に組み込まれていたためであり、実質的には参戦していない。

生い立ち

フォイトは1935年にテキサス州ヒューストンで生まれる。パーシング・ミドルスクールおよびハミルトン・ミドルスクールに通い、ラマー・ハイスクールとサンジャシント・ハイスクールに学ぶ[1]。しかしながら整備工を志し、高校を中退した[2]

競技経歴

ミジェットカー

ミジェットカーを駆るフォイト、1961年

1956年、ミジェットカーでUSACの経歴を開始。最初の勝利は1957年のカンザスシティである。同年のシーズンランキングは7位であった。ミジェットカーは同年をもって卒業し、スプリントカー、チャンピオンシップカーに参戦する。しかしながらその後もしばしばミジェットカー・レースに参加した。フォイトは1960年および61年のターキーナイト・グランプリに優勝したが、これはアスコット・パークで開催された同レースの初回および2回目であった。1961年にはハット・ハンドレッドで最後にスタートしたが優勝を飾り、その年のランキング7位となった。1970年にはホームタウンのヒューストンで自らプロモートしたアストロ・グランプリで優勝した。彼はミジェットカーで20勝を挙げ、そのキャリアを終えた。

チャンプカー

1977年インディ500優勝車のギルモア・レーシング・スペシャル
ポコノでのフォイト、1984年

当時のアメリカのトップカテゴリーUSACにおいて、1960年]にシリーズタイトルを獲得、翌1961年も防衛に成功し、その後1963年・1964年・1967年・1975年・1979年にも獲得、歴代最多となる7度のチャンピオンに輝いている。またインディ500においては、1961年・1964年・1967年・1977年と、計4度の優勝を記録。これは当時の同レース単独最多勝利数であり、現在でもタイ記録である。

1961年のインディ500ではレース終盤、燃料補給のためピットストップしたが、給油トラブルのため十分な燃料を補給することができなかった。エディ・ザックスはペースの上がらないフォイト車が少ない燃料のため車重が軽いことに気づかず、順位を維持するため攻め続けた。ザックスは右リアタイヤ交換のためのピットインしなければならず、リードを明け渡した。フォイトはザックスに8.28秒の差を付けてフィニッシュしたが、これは史上2番目の僅差であった。彼は1957年から1992年まで毎年参戦し、374レースに出走、トップ10で201回ゴールし、67勝を挙げたが、これも歴代最多勝利数である。1958年にフォイトはイタリア、モンツァでのトロフィー・オブ・ザ・トゥーワールドに出走した。

NASCARでも1964年から1972年まで参戦、デイトナ500での1勝を含む計10勝を挙げている。

1967年のル・マン24時間レースにおいて、ダン・ガーニーとのコンビで優勝。同年にインディ500とル・マンの両方を制したドライバーは2007年現在フォイトのみである。またデイトナ24時間レースでも1983年と1985年の計2勝を記録。この他にも1976年と1977年にIROCチャンピオンとなるなど多くの実績を残した。

1981年にはCARTで自チームA.J.フォイト・エンタープライズを設立(後に、CARTと分裂し誕生したIRLに移動)、チームオーナーとしての顔も見せることとなった。その後も現役を続けていたが、1993年のインディ500の予選1日目の朝にCARTからの引退を表明。1994年のブリックヤード400をもって現役引退。通算勝利数159、シリーズタイトル獲得数12。また稼いだ賞金の総額は、600万ドルを超えている。

2013年からは、前年のインディ500で見初めた佐藤琢磨を獲得、第3戦ロングビーチで2002年カンザスでのアイルトン・ダーレ以来11年ぶりの優勝を果たした。

人物

  • 稀に放送禁止用語を交えて発言する事があった為、レポーター泣かせだった。
  • 現在、孫A.J.フォイト4世、息子のラリー・フォイトもレーシングドライバーである。特に4世は、2003年に19歳でインディカー・シリーズに参戦を開始、史上最年少記録となった。
  • 1964年のインディ500優勝は、フロントエンジンのマシンによる同レース最後の優勝となった。

記録

F1

所属チーム シャシー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 WDC ポイント
1958年 クズマ/ディーン・ヴァン・ラインズ クズマ ARG MON NED 500
16
BEL FRA GBR GER POR ITA MOR NC
(52位)
0
1959年 MON 500
10
NED FRA GBR GER POR ITA USA NC
(37位)
0
1960年 カーティス・クラフト/ボウズ・シール・ファスト カーティス・クラフト ARG MON 500
25
NED BEL FRA GBR POR ITA USA NC
(79位)
0

インディカー

(key)(太字ポールポジション

チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 順位 ポイント
1979 ギルモア・レーシング
PHX

ATL1

ATL2

INDY
2

TRE1

TRE2

MIS1

MIS2

WGL

TRE3

ONT

MIS3

ATL3

PHX2
NC 0
1980 ギルモア・レーシング
ONT
Wth

INDY
Ret

MIL

POC
Ret

MDO

MIS1

WGL

MIL

ONT2

MIS2

MEX

PHX
44位 45
1981 ギルモア・レーシング
PHX1

MIL1

ATL1

ATL2

MIS
Ret

RIV

MIL2

MIS2

WGL

MEX

PHX2
NC 0
1982 ギルモア・レーシング
PHX1

ATL

MIL1
2

CLE
Ret

MIS1
Ret

MIL2

POC
Ret

RIV

ROA

MIS2
Ret

PHX2
28位 22
1983 ギルモア・レーシング
ATL

INDY
Ret

MIL

CLE

MIS1

ROA

POC

RIV

MDO

MIS2

CEA

LAG

PHX
NC 0
1984 ギルモア・レーシング
LBH

PHX1

INDY
6

MIL

POR

MEA

CLE

MIS1
Ret

ROA

POC
Ret

MDO

SAN

MIS2

PHX2
Ret

LS

LVG
Ret
21位 22
1985 ギルモア・レーシング
LBG

INDY
Ret

MIL

POR

MEA
Ret

CLE

MCH

ROA

POC
Ret

MDO

SAN
Ret

MCH

LAG

PHX
Ret

MIA
Ret
NC 0
1986 A.J.フォイト・エンタープライズ
PHX
Ret

LBG

INDY
Ret

MIL
Ret

POR

MEA

CLE

TOR

MCH
9

POC
4

MDO

SAN

MCH
16

ROA

LAG

PHX
Ret

MIA
Ret
21位 16
1987 A.J.フォイト・エンタープライズ
LBG

PHX

INDY
Ret

MIL
6

POR

MEA

CLE

TOR

MCH
Ret

POC
7

ROA

MDO

NAZ
7

LAG

MIA
Ret
23位 14
1988 A.J.フォイト・エンタープライズ
PHX
4

LBH
11

INDY
Ret

MIL
5

POR
15

CLE
11

TOR
15

MEA
Ret

MIS
Wth

POC
Ret

MDO
Ret

ROA
10

NAZ
Ret

LS
Ret

MIA
Ret
16位 29
1989 A.J.フォイト・エンタープライズ
PHX
Ret

LBH
Ret

INDY
5

MIL
Ret

DET
Ret

POR
Wth

CLE

MEA
Ret

TOR
17

MIS
Ret

POC
Ret

MDO
Ret

ROA
Ret

NAZ
Ret

LS
18位 10
1990 A.J.フォイト・エンタープライズ
PHX
Ret

LBH
Ret

INDY
6

MIL
9

DET
Ret

POR
10

CLE
7

MEA
5

TOR
16

MIS
6

DEN
10

VAN
13

MDO
15

ROA
Ret

NAZ

LS
11位 42
1991 A.J.フォイト・エンタープライズ
SRF

LBH

PHX

INDY
Ret

MIL
Ret

DET
Ret

POR
16

CLE
Ret

MEA
13

TOR

MIS
Ret

DEN

VAN

MDO

ROA

NAZ
Ret

LS
32位 0
1992 ウォーカー・モータースポーツ/ギルモア・レーシング
SRF
Ret

PHX
DNQ

LBH

INDY
9

DET

POR

MIL

NHA

TOR

MIS

CLE

ROA

VAN

MDO

NAZ

LS
26位 4
1993 コペンハーゲン・レーシング
SRF

PHX

LBH

INDY
DNQ

MIL

DET

POR

CLE

TOR

MIS

NHM

ROA

VAN

MDO

NZR

LS
NC 0

インディ500

シャシー エンジン スタート フィニッシュ
1958 クズマ/ブラウナー オッフェンハウザー 12位 16位
1959 クズマ オッフェンハウザー 17位 10位
1960 カーティス/エパリー オッフェンハウザー 16位 25位
1961 トレヴィス オッフェンハウザー 7位 1位
1962 トレヴィス オッフェンハウザー 5位 23位
1963 トレヴィス オッフェンハウザー 8位 3位
1964 ワトソン オッフェンハウザー 5位 1位
1965 ロータス・34 フォード 1位 15位
1966 ロータス・38 フォード 18位 26位
1967 コヨーテ フォード 4位 1位
1968 コヨーテ フォード 8位 20位
1969 コヨーテ/クズマ フォード 1位 8位
1970 コヨーテ フォード 3位 10位
1971 コヨーテ フォード 6位 3位
1972 コヨーテ フォイト 17位 25位
1973 コヨーテ/ライリー フォイト 23位 25位
1974 コヨーテ フォイト 1位 15位
1975 コヨーテ フォイト 1位 3位
1976 コヨーテ フォイト 5位 2位
1977 コヨーテ フォイト 4位 1位
1978 コヨーテ フォイト 20位 7位
1979 パーネリ コスワース 6位 2位
1980 パーネリ コスワース 12位 14位
1981 コヨーテ コスワース 3位 13位
1982 マーチ・82C コスワース 3位 19位
1983 マーチ・83C コスワース 24位 31位
1984 マーチ・84C コスワース 12位 6位
1985 マーチ・85C コスワース 21位 28位
1986 マーチ・86C コスワース 21位 24位
1987 ローラ コスワース 4位 19位
1988 ローラ コスワース 22位 26位
1989 ローラ コスワース 10位 5位
1990 ローラ シボレー 8位 6位
1991 ローラ シボレー 2位 28位
1992 ローラ シボレー 23位 9位
1993 ローラ フォード-コスワース 予選落ち

予選結果

Att # 日付 時刻 予選日 車番 ラップ数 予選タイム 予選スピード 順位 スタート 備考
1967 22 05-13 22 1 14 2 PULLED OFF
1967 28 05-13 28 1 14 4 166.289 4 4  
1968 8 05-18 8 1 1 4 166.821 8 8  
1969 4 05-24 4 2 6 4 3:31.0600 170.568 1 1  
1970 5 05-16 5 1 7 4 170.004 3 3  
1971 2 05-15 2 1 9 4 3:26.5200 174.317 6 6  
1972 3 05-13 17:57 1 2 0 BLOWN ENGINE
1972 30 05-20 11:30 2 2 4 3:10.4800 188.996 5 16  
1973 25 05-12 14:27 1 14 3 WAVED OFF
1973 27 05-12 15:20 1 14 4 3:10.5500 188.927 32 23  
1974 8 05-11 11:05 1 14 4 3:07.8600 191.632 1 1  
1975 4 05-10 11:38 1 14 1 PULLED OFF
1975 19 05-10 16:10 1 14 4 3:05.5900 193.976 1 1  
1976 12 05-15 16:55 1 14 4 3:14.3200 185.261 10 5  
1977 1 05-14 11:02 1 14 4 3:06.0800 193.465 ATTEMPT WITHDRAWN BY USAC
1977 12 05-14 12:39 1 14 4 3:05.0300 194.563 5 4  
1978 14 05-20 12:47 1 14 0 PULLED OFF
1978 39 05-21 13:24 3 14 4 2:59.8900 200.122 3 21  
1979 33 05-13 16:32 1 14 4 3:09.8600 189.613 6 6  
1980 24 05-10 14:24 1 14 0  
1980 32 05-10 16:14 1 14 1 FLAGGED OFF; RAIN
1980 33 05-10 17:59 1 14 4 3:14.0700 185.500 16 12  
1981 2 05-09 15:49 1 14 4 3:03.6000 196.078 6 3  
1982 25 05-15 16:23 1 14 4 2:57.0500 203.332 3 3  
1983 30 05-21 14:59 2 14 4 3:00.4000 199.557 14 24  
1984 25 05-12 15:23 1 14 1 PULLED OFF
1984 39 05-12 17:39 1 4 4 2:56.5920 203.860 12 12  
1985 10 05-11 11:55 1 14 4 2:54.9420 205.782 27 21  
1986 36 05-11 12:09 2 14 4 2:48.8460 213.212 5 22  
1987 21 05-09 17:07 1 14 4 2:50.6690 210.935 4 4  
1988 4 05-14 1 14 0 PULLED OFF
1988 31 05-14 17:23 1 14 3 PULLED OFF
1988 47 05-21 14:35 3 41 4 2:51.6770 209.696 15 22  
1989 15 05-14 13:24 1 14 4 2:45.7950 217.136 12 10  
1990 24 05-19 11:32 1 14 4 2:43.3210 220.425 8 8  
1991 1 05-11 11:00 1 14 4 2:41.8390 222.443 6 2  
1992 23 05-09 17:57 1 14 3 PULLED OFF
1992 28 05-10 12:20 2 14 4 2:41.5810 222.798 16 23  

ル・マン24時間レース

チーム コ・ドライバー 使用車両 クラス 周回 総合順位 クラス順位
1967年 フォード モーター カンパニー
シェルビー・アメリカン Inc.
ダン・ガーニー フォード・GT40 MK.IV P
+5.0
388 1位 1位

参照

  1. ^ HISD Connect - Alumni アーカイブ 2012年4月6日 - ウェイバックマシン Houston Independent School District
  2. ^ Foyt, A. J. Microsoft Encarta. Archived 2009-10-31.
  3. ^ A.J. Foyt slaps Arie Luyendyk”. YouTube. 2023年6月24日閲覧。

外部リンク

タイトル
先代
ボビー・アンサー
インターナショナル・レース・オブ・チャンピオンズ優勝
IROC III (1976), IROC IV (1977)
次代
アル・アンサー
先代
ブルース・マクラーレン
クリス・エイモン
ル・マン24時間優勝者
1967 with:
ダン・ガーニー
次代
ペドロ・ロドリゲス
ルシアン・ビアンキ
先代
ジム・ラスマン
インディ500優勝
1961
次代
ロジャー・ワード
先代
パーネリ・ジョーンズ
インディ500優勝
1964
次代
ジム・クラーク
先代
グラハム・ヒル
インディ500優勝
1967
次代
ボビー・アンサー
先代
ジョニー・ラザフォード
インディ500優勝
1977
次代
アル・アンサー
先代
リチャード・ペティ
デイトナ500優勝
1972
次代
リチャード・ペティ




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