A型フォードとその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 03:26 UTC 版)
「ヘンリー・フォード」の記事における「A型フォードとその後」の解説
エドセルは、新しいモデルの投入が必要であることを父に説得しつづけた。ヘンリーは、1926年になってようやくそれを了承する。こうして、1927年12月にA型フォードが登場し1931年まで販売された(T型以前に初期のA型からB、C…、R、S、そしてT型まで試作車も含め連続したモデル名を使用していた。T型の次がU型でなくA型となったのは、長期に好評でフォード社をフォード社たらしめたT型の後は心機一転、仕切りなおしでA型から、となったからである。初期のA型からT型の間には豪華すぎて販売不振だったK型や、シンプルさが受けたN型、その発展型S型などがある)。エンジンやシャーシなど技術的設計はヘンリーが指揮し、息子には外観の設計を任せた。エドセルはまた、父の反対を押し切ってスライド型シフトのトランスミッションをなんとか採用した。 A型フォードは1927年12月に登場し、1931年まで総計で400万台以上が生産された。その後はゼネラルモーターズに倣って毎年モデルチェンジするようになった。クレジット販売へのフォードの反対は1930年代まで続いたが、結局 Universal Credit Corporation という子会社を創設し、同社は主要な自動車向けクレジット会社となった。 フォードは会計士を信じておらず、世界有数の巨額の財産を監査も受けずに蓄えていた。
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