40歳で現役引退とは? わかりやすく解説

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40歳で現役引退

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/27 14:31 UTC 版)

弘山晴美」の記事における「40歳で現役引退」の解説

2007年3月名古屋国際女子マラソン2連覇と、39歳となる同年9月世界陸上大阪大会代表選出目指し出走結果優勝した橋本康子と3秒差で2位となったが、ゴールタイムが他の候補選手らと比べて劣っていたのが響いて、2大会連続世界陸上女子マラソン代表選出はならなかった。 翌2008年3月名古屋国際女子マラソンに再び出走同年8月開催北京オリンピック女子マラソン代表選出目指したが、両足マメ出来アクシデント響き29km付近優勝争いから脱落し、9位に敗れたその後長距離トラック種目北京五輪代表を狙い6月日本選手権女子10000m出走した11位に終わり4大連続五輪出場はならなかった。 40歳となった2009年3月東京マラソン2009最後に第一線から退く意向を夫の勉監督から明らかにされた。その東京マラソン本番では、練習時に風邪体調崩したため優勝争いには絡めなかったが、2時間35分台で完走し10位。ゴール直後弘山は「今は終わってホッとしている」と笑顔振り返るも、その2後夫揃って引退記者会見では「もうこれ以上戦う気持ちにはなれなかった」と、思わず涙を見せ場面もあった。 現役引退後は、講演市民マラソンゲスト出走の他、2009年4月から4年資生堂RCのアスリートアドバイザーを担当していた。なお2009年11月23日にはNHKホリデーインタビュー』に出演し郷里徳島それまで競技生活振り返るインタビュー受けている。 2010年3月7日41歳高齢ながら第一子となる長女出産同年10月24日仙台行われた杜の都駅伝テレビ中継における解説から、本格的に活動再開した2012年2月26日43歳で出産後初のフルマラソンとなる東京マラソン2012出場した。しかし、同年12月16日開催全日本実業団女子駅伝での資生堂RC結果13位と振るわず、翌2013年3月をもって夫・勉監督と共に22年間所属していた資生堂RC退任資生堂退職した2014年10月より、EVOLUアスリートクラブ代表を務める夫・勉らと共にアスリートLabスタッフ2015年4月より代表就任)として、アスリート及び市民ランナーへのランニング指導活動中

※この「40歳で現役引退」の解説は、「弘山晴美」の解説の一部です。
「40歳で現役引退」を含む「弘山晴美」の記事については、「弘山晴美」の概要を参照ください。

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