40歳で現役引退
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2007年3月の名古屋国際女子マラソンで2連覇と、39歳となる同年9月の世界陸上大阪大会代表選出を目指して出走。結果優勝した橋本康子と3秒差で2位となったが、ゴールタイムが他の候補選手らと比べて劣っていたのが響いて、2大会連続の世界陸上女子マラソン代表選出はならなかった。 翌2008年3月の名古屋国際女子マラソンに再び出走、同年8月開催の北京オリンピック女子マラソン代表選出を目指したが、両足にマメが出来るアクシデントが響き29km付近で優勝争いから脱落し、9位に敗れた。その後長距離トラック種目で北京五輪代表を狙い、6月の日本選手権で女子10000mに出走したが11位に終わり、4大会連続の五輪出場はならなかった。 40歳となった2009年3月の東京マラソン2009を最後に、第一線から退く意向を夫の勉監督から明らかにされた。その東京マラソン本番では、練習時に風邪で体調を崩したため優勝争いには絡めなかったが、2時間35分台で完走して10位。ゴール直後弘山は「今は終わってホッとしている」と笑顔で振り返るも、その2日後夫婦揃っての引退記者会見では「もうこれ以上戦う気持ちにはなれなかった」と、思わず涙を見せる場面もあった。 現役引退後は、講演・市民マラソンゲスト出走の他、2009年4月から4年間資生堂RCのアスリートアドバイザーを担当していた。なお2009年11月23日にはNHK『ホリデーインタビュー』に出演し、郷里徳島でそれまでの競技生活を振り返るインタビューを受けている。 2010年3月7日、41歳の高齢ながら第一子となる長女を出産。同年10月24日に仙台で行われた杜の都駅伝テレビ中継における解説から、本格的に活動を再開した。 2012年2月26日、43歳で出産後初のフルマラソンとなる東京マラソン2012に出場した。しかし、同年12月16日開催の全日本実業団女子駅伝での資生堂RCの結果が13位と振るわず、翌2013年3月をもって夫・勉監督と共に22年間所属していた資生堂RCを退任・資生堂も退職した。 2014年10月より、EVOLUアスリートクラブ代表を務める夫・勉らと共にアスリートLabスタッフ(2015年4月より代表就任)として、アスリート及び市民ランナーへのランニング指導を活動中。
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