40歳を過ぎても特別競輪で活躍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/25 20:37 UTC 版)
「藤巻昇」の記事における「40歳を過ぎても特別競輪で活躍」の解説
藤巻はその後もフラワーライン対九州という、当時の競輪二大勢力の背後に存在する「フィクサー」的な存在であり続け、1987年の第38回高松宮杯競輪決勝では3着に健闘。しかもその当時、39歳であった。 今でこそ特別競輪において30代後半の選手が活躍するケースというのは珍しくなくなったが、当時は藤巻の年齢で特別競輪の決勝へと駒を進める選手さえ稀であった。 そればかりか藤巻は40歳を過ぎても特別競輪の決勝進出が3回(最後の1990年・全日本選抜競輪は42歳)もあり、実に、20年以上に亘って特別競輪で第一線として活躍をし続けた。また45歳の時まで最高位のS1格付けを果たしており、これだけ長きに亘って第一線で活躍した選手は、60年近い競輪の歴史を紐解いても、それほどいない。
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