40代以前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 05:37 UTC 版)
一塔両尊図(富山・大法寺)永禄7年(1564年)。1幅 紙本著色 重要文化財。 日蓮聖人像(富山・大法寺)永禄7年(1564年)。1幅 紙本著色 重要文化財。 鬼子母神十羅刹女図(富山・大法寺)永禄7年(1564年)。1幅 紙本著色 重要文化財。 善女龍王図(石川県七尾美術館)永禄7年(1564年)。1幅 紙本著色 石川県指定有形文化財。 十二天図(羽咋・正覚院)永禄7年(1564年)。12幅(額装3面に改装) 絹本著色 石川県指定有形文化財。 三十番神図(富山・大法寺)永禄9年(1566年)1幅 絹本著色 重要文化財。 涅槃図(羽咋・妙成寺)永禄11年(1568年)。1幅 絹本著色 石川県指定有形文化財。 愛宕権現図(石川県七尾美術館)1570年代頃。1幅 絹本著色 石川県指定有形文化財。 日堯上人像(京都・本法寺)元亀3年(1572年)。1幅 絹本著色 重要文化財。 早世した本法寺第八世日堯を描いた像。江戸時代には「信春」は息子の久蔵のことだと考えられたが、本図に墨書された款記によって信春と等伯が同一人物だと提唱され、現在ほぼ定説となっている。 伝名和長年像(東京国立博物館)1幅 絹本著色 重要文化財。素襖に帆掛舟の紋があることから、旧蔵者福岡孝弟が箱に「伯耆守名和長年像」と記し、この名で呼ばれている。しかし、等伯が日蓮宗の祖師以外で過去の人物の肖像画を描くとは考え難く、等伯と同時代の武将を描いたとする説も有力。候補として、大坪流の馬術家で能登に領地を持ち、足利義輝の馬術師範であった斉藤好玄(よしはる)、『武田信玄像』との関係から武田家の家臣で水軍を担った伊丹康道、或いは帆掛舟はただの文様で太刀の目貫と笄に梅鉢紋が描かれている事からこれを家紋とする能登平氏とする説、などがある。 武田信玄像(高野山・成慶院)1幅 絹本著色 重要文化財。近年、この肖像画の像主について異論が出ている。詳しくは武田信玄#肖像画を参照。 牧馬図屏風(東京国立博物館)六曲一双 紙本著色 重要文化財。制作時期は不明であり、従来は元亀3年頃と考えられていたが、近年は天正期(1573年~1592年)頃のものと考えられている。 花鳥図屏風(岡山・妙覚寺)六曲一隻 重要文化財。 十六羅漢図(七尾・霊泉寺)8幅 紙本墨画淡彩。 陳希夷睡図(石川県七尾美術館)1幅 紙本墨画 石川県指定有形文化財。 達磨図(七尾・龍門寺)1幅 紙本墨画。
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