40代での皐月賞3連覇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 09:11 UTC 版)
「渡辺正人 (競馬)」の記事における「40代での皐月賞3連覇」の解説
1958年、42歳となった渡辺はタイセイホープで皐月賞を勝利する。中京の星川泉士厩舎が管理していたタイセイホープは、それまで主に厩舎所属の大根田裕也が騎乗していたが、東上にあたってベテランのフリー騎手である渡辺に白羽の矢が立った。 一方で馬主の浅野国次郎は「渡辺っていうのはよく知らないんだが、大丈夫か」と、乗り替わりに不安を感じていたという。人馬の東西交流がほとんどない時代ゆえの話ではあるが、それを伝え聞いた渡辺は愛知に住む浅野のところまで出向き「信頼してもらえないなら降ろしてもらう」と直談判。啖呵を切った手前、ぶざまな競走は出来ないと、タイセイホープは8番人気という低評価を覆し見事レコードタイムで勝利する。 渡辺の勝ち気な性格を気に入った浅野は、翌年も同じ星川厩舎管理の所有馬・ウイルデイールへの騎乗を依頼。渡辺もそれに応え、皐月賞では前年にタイセイホープが記録したレースレコードを0秒7上回る2分3秒3の好タイムで制覇。皐月賞連覇となった。 1960年の皐月賞では、武田師が最本命馬ながら主戦の栗田勝が負傷で騎乗できず鞍上が空いていたコダマの騎手に起用し、それに応えた渡辺は皐月賞3連覇という偉業を達成した。また、この3連覇はいずれも関西馬によるものであった。
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