4人目の皇帝・ウェスパシアヌス
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「ローマ内戦 (68年-70年)」の記事における「4人目の皇帝・ウェスパシアヌス」の解説
ウェスパシアヌスは元々ユダヤ戦争を鎮圧するために派遣された軍司令官であったが、シリア総督で名声のあったムキアヌスの支持を取り付けることができた。ウェスパシアヌスはユダヤ地方を鎮めることで皇帝に求められる軍事能力を示し、帝国の食料生産の半分を担うとまで言われたエジプトを支配することでローマ全体の食を押さえたのである。 オリエント一帯を安定させたウェスパシアヌスは、ムキアヌスに一軍を預けてバルカン半島を北上させ、ウィテッリウスのいるローマ攻略を目指した。しかしムキアヌスはダキアにて異民族の侵入に対処するため一時進軍を止め、その間にウィテッリウスに対して恨みをもつマルクス・アントニウス・プリムスの軍団兵が再びクレモナでウィテッリウスの軍を撃破(第2次ベドリアクムの戦い)、雪辱を果たす。勢いに乗ったアントニウス・プリムスの軍団はローマを占拠、ウィテッリウスを殺害した。そして数カ月後、異民族の侵入を退けたムキアヌスはローマに無血入城を果たし、混乱に際して炎上したユピテル神殿(なおこれに巻き込まれてウェスパシアヌスの兄サビヌスが死去していた)を再建して平和の復活を宣言、最後にウェスパシアヌスが皇帝としてローマに入った。 紀元後70年、ウェスパシアヌスの長男であるティトゥスが指揮するローマ軍はエルサレムを陥落させた。ユダヤ軍の残党はマサダへ逃れたものの少数であり、エルサレムの陥落により、ローマを揺るがしたユダヤ戦争は事実上終結した。また、ゲルマニアで勃発した反乱についてもクィントゥス・ペティリウス・ケリアリスが指揮を取るローマ軍が反乱軍を各地で撃破し、キウィリスは降伏。これにより内戦は一応の終結をみた。
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