2006-2008シーズン
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「マイケル・キャリック」の記事における「2006-2008シーズン」の解説
6月10日、トッテナムはロイ・キーンの後釜を探すマンチェスター・ユナイテッドからのオファーを断ったことを明らかにした。翌日にマルティン・ヨルは、「キャリックのような選手を失いたくはない。おそらく彼は我々のチームの中盤の選手で昨シーズンは一番だった。」と話した。7月28日、トッテナムはマンチェスター・ユナイテッドとキャリックの移籍についてクラブ間で合意したことを発表し、3日後に選手個人とも合意したことが明らかとなった。その1週間前には合意がされていたにも関わらず、スパーズが証券取引所に声明を出すまで移籍金は公表されなかった。ユナイテッドのチーフ・エグゼクテティブを務めていたデイヴィッド・ギルは移籍金1,400万ポンド、活躍に応じて1,860万ポンドまで上がる内容であることを確認した。その当時ユナイテッド史上6番目に高価な選手となり、ロイ・キーンが付けていた16番の背番号が与えられた。 2006-07シーズンはアムステルダム・トーナメントのアヤックス戦で負傷した影響で開幕には間に合わなかったが、2006年8月23日に行われたチャールトン・アスレティック戦でデビューを果たし、3日後に行われたワトフォード戦で初めてスターティングメンバーとして出場した。2007年1月13日に行われたアストン・ヴィラ戦でユナイテッドでの初ゴールを記録し、2月17日に行われたFAカップのブラックバーン・ローヴァーズ戦でキャリア初となるFAカップでのゴールを挙げた。4月10日に行われ7-1で勝利したチャンピオンズリーグ準々決勝のローマ戦でチャンピオンズリーグでの初ゴールを記録した。チームは準決勝のACミラン戦に2試合計3-5で敗れたため、リヴァプールとの同国対決となる決勝戦は実現しなかったが、ユナイテッドでの最初のシーズンはプレミアリーグ優勝を果たした。2007-08シーズンを前にクラブはオーウェン・ハーグリーヴス、アンデルソンを獲得したため、キャリックは自身のポジションが保証されていないことを理解していた。2007年10月に行われたローマ戦で肘を骨折し、6週間チームを離脱することになったが、11月3日行われたアーセナル戦で復帰し、2008年2月10日に行われたマンチェスター・ダービーではアディショナルタイムに決勝ゴールを挙げた。チェルシーを押さえリーグ戦では2連覇を達成し、リオ・ファーディナンド、ウェズ・ブラウンとともに契約延長のオファーを受けたキャリックは、5月18日に4年間の契約延長にサインした。チームはチャンピオンズリーグ決勝にも進出し、5月21日に行われたチェルシーとの決勝戦ではキャリックはフル出場を果たした。試合は延長戦を終えても1-1のまま決着がつかずPK戦に突入し、キャリックは2番目のキッカーを務め成功した。最終的にPK戦を6-5で勝利し、キャリックは初めてヨーロッパのタイトルを獲得した。
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