2004年後半の「武装解除」
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「コロンビア自衛軍連合」の記事における「2004年後半の「武装解除」」の解説
2004年11月コロンビアの最高裁判所は国家が勾留した唯一の人物・FARC 指揮官シモン・トリニダードと共に準軍組織の最高司令官のサルバトーレ・マンクーソとカルロス・カスターニョの送還を承認した。法廷はすべて麻薬取引とマネーロンダリングの告発のための3人の米国への送還要求をコロンビアの現行法の手順を踏んで決定した。したがってコロンビアの大統領が承認すればそれは現在も有効である。 コロンビアのメディアは政府がサルバトレ・マンクソの送還を承認する可能性もあるが、彼とその組織が政権と行っている「和平交渉」の継続のためにそれを遅らせるだろうと推測した。マンクソ自身は彼が最高裁判所の判決にもかかわらず、合意に参加し続けると宣言した。 11月後半と12月前半に AUC との和平交渉で新しい出来事があった。最初にブロケ・バナネロ(訳すとバナナ生産者団)の数百人がその武器を引渡し、民間の生活に再統合されるために解隊した。このグループは、AUC が FARC を追い払った北アンティオキアのウラバ地区に展開し、1990年代後半の半ばに地区を制圧した。しかし AUC は「治安を維持し FARC が戻るのを防ぐため」として依然として他の部隊を駐留させ地区を支配している。 また数週間後にカタトゥンボ団も解隊した。1425人の傭兵を擁したカタトゥンボ団はコロンビアで最も主要な AUC 組織の1つだったので、これはコロンビアの歴史の里程標とみられた。彼らと共にサルバトレ・マンクソは自首した。数日後ウリベ政権は、彼が犯罪の活動を避けて和平プロセスへの参加を維持する限り、マンクソの送還を有効にしないと発表した。 これら大規模な AUC 部隊の解隊の両方がメデジンでの2003年の初めのものに続いた。この時に引渡された武器は、最初の武装解除でみられた手製の散弾銃や取扱の難しい拳銃より、アサルトライフル、機関銃、擲弾発射筒、ロケット砲等が多数を占めた。AUC は2006年までの完全な解隊が想定されている。
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