2002年世界選手権代表チーム
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「バスケットボール男子アメリカ合衆国代表」の記事における「2002年世界選手権代表チーム」の解説
アメリカのインディアナ州、インディアナポリスでFIBA世界選手権が開催された2002年の頃には、アメリカは二つの意味でバスケットボールの国際化を経験しつつあった。一つはNBAで活躍する外国人選手がますます増えていたこと、もう一つは諸外国のバスケットボール代表チームのさらなる台頭だった。 1990年代には既にドラゼン・ペトロビッチ、アルビダス・サボニス、トニー・クーコッチら外国出身の選手がNBAでプレイしていたが、チームの中核を占めるほどの選手はまだ少数だった。しかし21世紀に入る頃には、NBAのオールスター戦に外国人選手が出場することが当たり前のことになっていた。このような変化と同時に各国代表チーム、特にヨーロッパと南米勢が手強い相手になっていることを、アメリカは2002年の大会で痛感することになった。 アメリカが大会に送り込んだ代表チームは、2年前のシドニーオリンピックと同様にNBAの有力な選手を欠く構成となった。参加したポール・ピアース、ショーン・マリオン、ジャーメイン・オニールらは運動能力に優れた若手選手だったが、この年にリーグのMVPになったティム・ダンカンや、シャキール・オニール、トレーシー・マグレディ、ジェイソン・キッド、コービー・ブライアントら2001-2002シーズンのオールNBAファーストチーム(優秀な5人の選手)に選ばれた選手はみな代表に参加しなかった。 国内でトップクラスの選手を含んでいないこと、そしてシドニー五輪での苦しい勝利と諸外国の著しい台頭により、アメリカ代表チームをドリームチームと呼ぶメディアは少なくなっていた。 大会の初戦、アメリカはアルジェリアを110対60で下し、幸先の良いスタートを切った。その後予選リーグを順調にこなしていき、予選の最終戦でアメリカはアルゼンチンと対戦し、アメリカと同様5勝0敗で来たアルゼンチンにアメリカは80対87で敗北を喫した。これはアメリカがNBA選手を国際大会に送り始めて以来初の敗戦だった。 決勝トーナメントに進んだアメリカは、トーナメント第一戦の準決勝でユーゴスラビアと対戦した。試合終盤に10点のリードを持っていたアメリカは、粘るユーゴに逆転を許し81対78で敗れてしまう。この段階で、アメリカのメダル獲得の可能性はなくなった。 続く順位決定戦でアメリカはプエルトリコを破るが、5位-6位決定戦のスペイン戦を81対76で落とした。大会の結果は、アメリカとしては惨敗と言える6位で終わった。優勝はユーゴスラビア、2位はアルゼンチン、3位はドイツだった。 この大会に参加した各国代表には、NBAで活躍する選手が多く含まれていた。アメリカを敗退させたユーゴスラビアには、プレドラグ・ストヤコヴィッチとブラデ・ディバッツがいた。予選でアメリカを破ったアルゼンチンではエマニュエル・ジノビリがプレイしており、ダーク・ノヴィツキーは3位ドイツの主力メンバーだった。これらの選手はみな、NBAオールスターゲームに出場したり、数年後に出場した。
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