2002年ワールドカップに向けた改修
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「茨城県立カシマサッカースタジアム」の記事における「2002年ワールドカップに向けた改修」の解説
1993年の開場当初、茨城県立カシマサッカースタジアムの収容人員は15,000人だったが、その後立見席を設けたため収容人員は約16,000人となった。だが、茨城県は2002 FIFAワールドカップ(W杯)の開催地として立候補しており、茨城県立カシマサッカースタジアムを開催会場とすることも決まっていたことから、スタジアムの処遇を検討する必要に迫られた。1995年5月31日に茨城県からW杯日本招致委員会に提出された第3次(最終)開催計画では、すでにスタンドを40mの高さの2層式にして収容人数を1万5千人から4万3千人にするほかプレスゾーンも拡大し、観客席の3分の2に屋根を被せて屋根下に照明を整備する内容とされた。 既存の茨城県立カシマサッカースタジアムを継続使用しながら増築する場合、安全上の問題が生じ消防法に抵触する恐れがあることから、一時はスタジアムを新規に建設する事も検討された。W杯の茨城県開催に向けてカシマサッカースタジアムの改修か新設かを検討していた、斉藤義則茨城大学教授などの有識者らで構成する「カシマサッカースタジアム整備検討委員会」は、1996年12月19日に最終報告書を橋本昌茨城県知事へ提出し、検討委員会が示した報告書の中で「改修」「新設」の両論を併記し、それぞれの利点や課題について述べられたが、委員会としての結論は下さず最終判断は知事にゆだねた。これを受けた橋本知事は、新規建設の場合は建設コストが多額に及ぶことや、旧スタジアムを鹿嶋市へ譲渡・移管した場合に、鹿嶋市側の受入費用・スタジアム維持費用捻出が対応しきれないとの鹿嶋市内部の判断があったことを理由に、同年12月27日に既存の茨城県立カシマサッカースタジアムを増築することを表明し、1998年より着工して2001年開催にされるW杯プレ大会であるFIFAコンフェデレーションズカップ2001までに完成させる予定を発表した。 改築事業は1998年10月から2年8カ月間に及び、設計は日建設計、建築工事は竹中工務店、住友建設、勝村建設、常総開発工業、岡部工務店の5社による共同企業体 (JV) が施工を担当し、初めの2年間は試合のない冬場を中心に工事が行われた。アントラーズはこの間茨城県を離れ、ホームゲームを東京都新宿区の国立霞ヶ丘競技場陸上競技場(国立競技場)などで行った。
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