2000年春 - 2003年秋(田代・安倍時代)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 21:34 UTC 版)
「ニュースJAPAN」の記事における「2000年春 - 2003年秋(田代・安倍時代)」の解説
2000年4月からは、安藤・木村が『スーパーニュース』に異動となったことから、キャスターをフジテレビアナウンサーの田代尚子が担当した。同時に放送時間を変更し、特集が縮小(2001年に廃止)となり、ニュースのみで随時特集企画を組み込む構成になる。 C型肝炎問題を追及・検証し、ウイルスが血液製剤「フィブリノゲン」に混入していたこと(フィブリノゲン問題)をスクープし、日本民間放送連盟賞テレビ報道部門最優秀賞を受賞した。また、このシリーズは、日本の報道界では最高の栄誉である新聞協会賞に続いて、放送界のピューリッツァー賞とも言われる米ピーボディ賞を、日本のテレビ番組としては初めて単独で受賞した。
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「ニュースJAPAN」の記事における「2000年春 - 2003年秋(田代・安倍時代)」の解説
3部構成は変わらず、最初20分がニュースで、次の40分がスポーツニュース。最後再びニュースを10分間放送した(2003年3月まで)。3部めのニュース部分の時間がさらに縮小となり、現体制に至る下地が作られた。また時間に明確な区切り(それまでは実質スポーツコーナーを含め1つの番組と位置づけていたため、目安の時間より前後することがあった)を入れるようになったため、実質的にスポーツコーナーを独立・分離化している。 田代・安倍時代のコーナー JAPAN2 2000年(平成12年)4月のリニューアルで登場。「プロ野球ニュース」・「すぽると」の後の第3部をこう呼んだ。2003年(平成15年)3月まで放送。タイトルは「JAPAN2」または「ニュースJAPAN2」。2002年9月までは「JAPAN2」のオープニング映像とタイトルコールもあった。コメンテーターは原則として出演しない。 JAPAN EX(ジャパン・エックス) 3分ほどのミニ特集。2001年ころまではヘッドラインと「EX」の2本立てだったが、ニュースのみに切り替わった。 衝撃@世界(しょうげき あっと わーるど) 土曜日の『FNNスピーク』に放送された『地球グラフィティー』が引越し。2000年(平成12年)4月から2003年(平成15年)3月まで金曜の『ニュースJAPAN-2』で放送。
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