1986年 – 1990年
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「リチャード・ロイド・レーシング」の記事における「1986年 – 1990年」の解説
1986年、リチャードロイドレーシングはキヤノンとのスポンサーシップが終了し、チームは新たにリキモリと契約することになった。WSPCでは956 GTiを推し進めたが結果が出なかった。しかしブランズハッチで、ポルシェのファクトリードライバーであるマウロ・バルディとボブ・ウォレクが車に乗り、ヨーストレーシングに4周差で2度目の世界選手権優勝を果たした。その後ニュルブルクリンクで2位フィニッシュし、チームチャンピオンシップで7位だった。世界選手権以外では、956 GTiはリチャードロイドレーシングのホームトラックである、スラクストンで開催されたインターセリエにも出場し、2ヒート目を優勝し総合2位でフィニッシュした。 1987年、リチャードロイドレーシングはWSPCシーズン前に老朽化した956GTiを交換した。新たにポルシェ・962Cのベース車を入手したが、再び独自のGTi仕様を製造した。ジョナサンパーマーとマウロバルディは、チームのフルシーズンドライバーになった。そしてノリスリンクスプリントレースで優勝した。その後ブランズハッチでは、2位を獲得した。リチャードロイドレーシングは富士ではで3位に入り、 チームチャンピオンシップで5位を獲得し、ドライバーズチャンピオンシップでバルディが8位タイを獲得した。チームはまたでポストシーズンのエキシビジョンで南アフリカのキャラミで、ヨッヘン・マスのドライブで優勝した。 1988年、リキモリがチームのスポンサーを終了したため、限られたレーススケジュールとなった。代わりに、新たにポルシェイギリスから支援を受けた。WSPC初戦で4位フィニッシュに続いて、一連のアクシデントや失格が発生し、チームは改善のためにいくつかのレースを欠場した。ニュルブルクリンクで7位フィニッシュし、チームチャンピオンシップで9位になった。チームは富士戦に参加せず、エキシビジョンイベントのために北米に行きフロリダ州タンパで開催されたIMSA GTチャンピオンシップチームと対戦した。アメリカ人ドライバーのプライス・コブが加わりジェームズ・ウィーバーとのペアは、アメリカのエレクトラモーティブ・ニッサンとヨーロッパのブルン・ポルシェに次ぐ3位を獲得した。 1989年、WSPCの規定変更で、短いスプリントレースで構成されるスケジュールとなり、チームのコストが削減され、リチャードロイドレーシングが2台目の車を追加することを可能になった。ドライバーには、デレック・ベル 、ティフ・ニーデル、スティーブン・アンドスカー。リチャードロイドレーシングが獲得したポイントは、ディジョン・プルノワでの5位と、エルマノス・ロドリゲスの最終戦での4位だけで、チームチャンピオンシップでは9位だった。ティフニーデルがシルバーストンで行われたスーパーカップで、2位に入り世界選手権以外でホームレースでの成功が達成された。 1990年、リチャードロイドレーシングはチームのメインスポンサーとして日本企業の伊太利屋と契約した。ドライバーはマヌエル・ロイター、ジェームス・ウィーバー、スティーブン・アンドスカーの、1台のエントリーに縮小された。WSPCではスパで6位、短縮されたジル・ヴィルヌーヴ・サーキットンでの3位が今年の最上位であり、リチャードロイドレーシングは3ポイントでチャンピオンシップで再び9位になった。チームはニック・メイスンの標準の962Cをルマンで走らせた。メイスンが所有する962Cは11位でフィニッシュし、チームの962C GTiはピットで炎上し、リタイヤした。シーズン終了後、1991年まで継続するために必要な資金が不足し、リチャードロイドレーシングは活動終了した。
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