1982年 - 1986年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/13 14:34 UTC 版)
「大富士」の記事における「1982年 - 1986年」の解説
1982年初場所で4度目の再十両となるが、1場所で陥落しまたも1年間を幕下上位で過ごす。1981年初場所では東幕下筆頭で6連勝したが、七番相撲に敗れ優勝を逃した。場所後再十両に昇進したが、番付運が悪く東十両12枚目に置かれた。1983年になると十両でも安定した成績を残せるようになり、十両に定着したかと思われたが、西十両7枚目についた9月場所2日目、益荒雄戦で右膝の脱臼及び靱帯断裂という重傷を負いこの場所残り13日を全休。翌場所は幕下に陥落。公傷が適用されたため1984年初場所は同じ東幕下10枚目の張出に回っただけであったが、回復が遅れ1984年5月場所まで4場所を全休。東三段目74枚目に下がった7月場所では力の違いを見せて三段目優勝を飾り幕下に復帰するが、翌場所再び途中休場となりその後三場所連続で全休。1985年5月場所では序二段100枚目まで番付を下げた。これは十両経験者としては昭和以降、当時2位の最低記録である。この場所では優勝し、その後も三場所連続で勝ち越して幕下東51枚目まで番付を戻したが、1986年初場所初日に敗れ途中休場、場所後27歳の若さで廃業した。
※この「1982年 - 1986年」の解説は、「大富士」の解説の一部です。
「1982年 - 1986年」を含む「大富士」の記事については、「大富士」の概要を参照ください。
- 1982年・1986年のページへのリンク