1975-1979年: ディスコ・ブーム
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1975年にはヴァン・マッコイの「ハッスル」が大ヒットした。1975年以後1979年までに、ジョニー・テイラー、リック・ディーズ、ヴィッキ・スー・ロビンソン、ヒートウェイブ、テイスト・オブ・ハニー、シック、フォクシー、マイケル・ゼイガー・バンド、シスター・スレッジ、ピーチズ&ハーブらがディスコ・ヒットを飛ばした。1970年代後半のディスコ・パフォーマーにはビージーズやヴィレッジ・ピープル、ドナ・サマー、アラベスク、ジンギスカンがいる。ドナ・サマーは多くのビッグヒットを生み出し、またもっともポピュラーになったディスコのスターである。また、彼女はエレクトロニック・サウンドを特徴とするユーロ・ディスコのヒットを出した。裏方であったジョルジオ・モロダーらの音楽プロデューサーたちは大きな役割を果たした。彼らは曲を書き制作を行い、画一的なシンセ・サウンドを確立していった。これらは「ディスコサウンド」の一部となった。ヒットが量産されるのを見た非ディスコアーティストは、ディスコ絶頂期にディスコ・ソングを録音した。また『サタデー・ナイト・フィーバー』や、『イッツ・フライデー』(1978年) のような商業映画は、ディスコのマーケットを拡大する上で、大きな役割を果たした。 一方でディスコ・ミュージックや文化に対する激しい反発が起き、アメリカで1979年7月に起こったディスコ・デモリッション・ナイト事件はディスコ人気に打撃を与える1つの原因になった。ただ、ディスコが衰退した大きな原因は、ヒットが大量に生まれ音楽ファンに飽きられたことと、ファンの需要は多様であり画一的なレコード供給ではダメだという点にあった。また、フュージョンや産業ロックと同様に、ディスコに対する音楽ファンと音楽評論家による商業主義との批判も、容赦なく浴びせられた。その結果、アメリカではディスコの人気が著しく低下したが、踊らせるためのダンス・ミュージックは1980年代以降も世界で存在し続けた。
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