1951 - 1958年
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「コマーシャルソング」の記事における「1951 - 1958年」の解説
1951年(昭和26年)9月1日、民間ラジオ放送が開始。 9月7日を「CMソングの日」としている例があるが、これは日本初の(放送における)CMソングの定説とされる『僕はアマチュアカメラマン』(作詞・作曲:三木鶏郎;小西六写真工業)が初オンエアされた日(1951年)ということに基づいている。『僕はアマチュアカメラマン』の歌詞には企業名や商品名はなく、後のイメージソングに近いものであった。 しかし、9月3日に『ペンギンの歌』(作詞:重園よし雄・作曲:平岡照章;塩野義製薬)が流れており、また、9月1日のコマーシャル第1号となる精工舎のCMでも、時報メロディが電波に乗ったという資料があり、これこそが厳密には日本初のCMソングであるという指摘もある。なお、この『ペンギンの歌』は当初、童謡扱いでNHKでも流れていた。 1953年(昭和28年)8月28日、民間テレビ放送が開始。当時は「シンギング・コマーシャル」という呼び方もされていた。 1950年代半ばにはCMソングの強い宣伝効果が認識され、『ミツワ石鹸テーマソング』に代表される企業名・商品名を連呼するタイプが続出した。 1957年(昭和32年)8月28日、『有楽町で逢いましょう』(作詞:佐伯孝夫、作曲:吉田正、歌:フランク永井;有楽町そごう)が発売。同フレーズが当時の流行語となる。 三木鶏郎の他にCMソングの作曲家には、いずみたく、作詞家には野坂昭如が活動し始めていた。歌手では楠トシエも多くのCMソングを歌った。 創生期の代表的な楽曲 どなたになにを(古賀さと子;福助足袋) エンゼルはいつでも(川田孝子;森永製菓)
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