1923年の合意
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/03 16:50 UTC 版)
アイルランド自由国が1922年にイギリスから独立した時は、パスポートの確認と出入国管理が国境において行われることが国際的に標準となりつつある時代であった。イギリスは過去に特にフランス革命の間に入国管理を課していた。20世紀における入国管理は1905年のエイリアン法(外国人法)に基づくものであり、それ以前は外国人の入国登録制度があった。 アイルランド自由国の創設以前は、アイルランドではイギリスの一部としてイギリスの入国管理法が適用されていた。しかし1922年にアイルランドが英国より独立する状況へと進んでゆくと、英国内務省は499kmにもわたり、あちらこちらに点在し曲がりくねったアイルランド自由国と北アイルランドの陸上の境界を延々とパトロールし続けなければならないことを意味する、パスポートチェックと国境管理を行うことにあまり乗り気ではなかった。1922年以前の状況が続けば、独立後もアイルランド入国管理当局はイギリスの入国管理政策を引き続き執り続ける必要があった。アイルランド内務省も現状維持を望んだことから、1923年2月に現状維持に関して非公式合意が行われた。イギリス・アイルランド共に現状の移民政策に関する決定を受け入れ、アイルランド当局は英国のペルソナ・ノン・グラータに該当する人物のリスト(Suspect-Codex、別名:ブラックボックス)を提供することとなった。 この協定によって、イギリスの入国管理法上、アイルランド自由国をイギリスの一部とみなすことで、イギリスの法律に規定されていた。1925年に両国ともに法案が通過したことにより、外国人に対して適用される上陸条件が両方の国で有効となった。この時点が共通旅行区域が最も幅広く適用された時期であったが、共通入国管理区域において共通していたため、当時はそのように認識されることはなかった。一方の国に入国を許可された外国人は、他方の国に入国しないことを条件としない限り、最小限の法的要件で他方の国に渡航することができた。 共通旅行区域は1939年の第二次世界大戦勃発により中断され、イギリスとアイルランドの島々の間で移動制限が課された。これは、北アイルランドからイギリス内へ移動する場合は、イギリス国内であっても渡航制限が課されることを意味していた。
※この「1923年の合意」の解説は、「共通旅行区域」の解説の一部です。
「1923年の合意」を含む「共通旅行区域」の記事については、「共通旅行区域」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書から1923年の合意を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書から1923年の合意を検索
- 1923年の合意のページへのリンク