10年10万キロをめぐるエピソード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/14 21:29 UTC 版)
「金子浩久」の記事における「10年10万キロをめぐるエピソード」の解説
10年10万キロストーリーでは作品の性格上、1980年代以降のネオ・ビンテージと呼ばれる日本車が登場する機会が多い。1970年代の排ガス規制とオイルショックのピンチを乗り越え、ハイパフォーマンスと多機能を売りに世界へ進出し、あるいは国内向けに独自の進化を遂げた日本車は、1990年代以降世界の自動車業界のベンチマークとなっていった。 そこに着目した英国『Top Gear』誌の香港・台湾・中国版誌が金子に話を持ちかけ、10年10万キロは中国語に翻訳され、国際的な評価を得るに至っている。金子はこのことについて、「日本車には歴史がないと、かつて言われてきた。第二次大戦後からせいぜい30年じゃないかと、欧米は辛辣だった。だけど1980年代からの30年で、日本車とその文化は充分歴史たりうる力をつけた。自動車新興国であるアジアの人々に、それを広く紹介できれば」と語っている。 2001年には、三菱自動車(以下自工)がインターネット上で公開した連載『10年10万キロ・パジェロストーリー』を巡り、訴訟が起きている。金子は、間に入っていた編集プロダクション「START」が無断で自分の名と「10年10万キロ」を出して自工に企画を持ちかけたとして、著作人格権侵害を理由に東京高裁へ提訴した。民事では和解勧告となり金子は東京高裁へ控訴したが、「10年も10万キロも広く使われている一般的な言葉であるうえ、作品のタイトルそのものに著作権はない」として訴えを退けた。 裁判から10年を経た2011年、金子の執筆になる『三菱10年10万kmストーリー』が始まった。当時の自工は前年に発覚したリコール隠し問題からの信頼回復に追われていて、新車保証を5年5万キロから10年10万キロに引き上げていた。その流れの中での金子の起用であったが、自工と金子の間にわだかまりはなく、同連載は2018年の現在も続いている。
※この「10年10万キロをめぐるエピソード」の解説は、「金子浩久」の解説の一部です。
「10年10万キロをめぐるエピソード」を含む「金子浩久」の記事については、「金子浩久」の概要を参照ください。
- 10年10万キロをめぐるエピソードのページへのリンク