黄金時代の終焉から低迷期へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 04:55 UTC 版)
「デポルティーボ・ラ・コルーニャ」の記事における「黄金時代の終焉から低迷期へ」の解説
2003-04シーズンに好成績を残したのを最後に国内外で不振を極め、チーム躍進の立役者であったイルレタ監督の退任とともに黄金期は終わりを迎えることになった。この不振の理由としては、主力選手の高齢化、戦術・メンバーの固定化によるマンネリズムの蔓延、多額の負債を抱えて補強に資金を回せなくなったことなど、様々な理由が挙げられている。 2005年夏には若手の育成に長けたホアキン・カパロス監督を招聘してチームの建て直しを図った。2005-06シーズンは好調な滑り出しを見せたが、フアン・カルロス・バレロン、ジョルジュ・アンドラーデの怪我と共に失速していき、黄金期の輝きを取り戻すには至らなかった。2006-07シーズンはさらに大胆なチーム編成に乗り出し、長年チームを支えたフランシスコ・モリーナ、リオネル・スカローニ、ディエゴ・トリスタンらベテランを放出してイルレタ監督時代の面影を一掃する一方で、有望な若手選手を数多く補強し、再びヨーロッパの舞台への返り咲きを目指したが、チームは大きく低迷。2007年夏にはジョアン・カプデビラやアンドラーデなどの主力を放出し、2007-08シーズンは序盤戦で降格圏にまで低迷した。しかし、2008年1月から5バックの守備と徹底したカウンターサッカーを導入すると得点力が増加し、FCバルセロナ戦を含めた5連勝などで中位まで上昇した。2007-08シーズン後半戦にはリアソルで無敗記録を続け、2008-09シーズンの開幕戦でレアル・マドリードに勝利して記録を18まで伸ばした。2010-11シーズンはリーグ最低の31得点に終わり、最終節のホームでのバレンシアCF戦に敗れ、20年ぶりのセグンダ・ディビシオンへの降格が決まった。勝ち点43を獲得したが、これは過去の降格クラブの中で最高の勝ち点だった。セグンダ・ディビシオンでの戦いとなった2011-12シーズンは圧倒的な強さで優勝し、1年でのプリメーラ・ディビシオンへの復帰となった。しかしプリメーラ・ディビシオンとなった2012-13シーズンは19位となり、わずか1年でセグンダ・ディビシオンへの降格が決まったが、2013-14シーズンは2位となり、再び1年でのプリメーラ・ディビシオンへの復帰が決まった。その後プリメーラの座を死守してきたものの、2017-18シーズン18位に終わり、またしてもセグンダに降格。2018-19シーズンは昇格プレーオフに進出したもの、RCDマヨルカの前に屈した。 2019年7月、日本代表・柴崎岳を獲得したことで話題になった。しかし、2019-20シーズンは一時最下位に転落するなど低迷し、2020年7月20日に40年ぶりにセグンダ・ディビシオンB降格が決まった。
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