鹿角三姫の由来とは? わかりやすく解説

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鹿角三姫の由来

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/29 07:02 UTC 版)

鹿角三姫」の記事における「鹿角三姫の由来」の解説

吉祥姫(きっしょうひめ):だんぶり(とんぼ)の導きにより、どんな病気治る霊酒を手にし長者となった夫婦一人娘の大変美し桂子姫がいた。その美しさゆえ天皇の后として宮中召され吉祥姫と名を改めた。時はすぎ、長者夫婦この世去り、京にいて両親逝去聞いた吉祥姫は、天皇おぼしめしにより、長者崇拝した大日神の社を古里建立された。これが小豆沢にある大日堂である。その後吉祥姫も不帰人となりふるさと土中埋めてほしいという遺言により大日堂のそばに埋没された。墓のある寺を吉祥院という。 政子姫(まさこひめ):鈴木地区に、郡司貴族)の娘で政子姫という美しい姫がいた。姫は狭布の細布を織ることが上手であった草木には、錦木は別名、仲人木といい恋文のかわりでもあった。市で見かけ美しい姫に心を奪われ若者は、毎日毎日政子姫の門前錦木をたてた。いつしか、姫も若者の心をあわれむようになったが、姫は、里の子どもたちを大鷲から守るための毛を混ぜた織物を織らねばならず、若者の心を受け入れることができなかった。あと一束千束になるという日に若者帰らぬ人となり、姫もその数日後若者後を追うようにこの世去った。姫の父は二人あわれに思い千束錦木とともに1つの墓に夫婦として葬った。その墓を錦木塚という。 芦名姫(あしなひめ):むかし、芦名沢地区の長者跡取り息子豪族一人娘美しい姫が恋仲となったが、長者豪族は仲が悪く二人結婚許されそうになかった。美しい姫は、長者息子恋しさに病になり、床に伏すようになった息子も姫が病気聞き一目会いたい豪族の館のまわり歩いていたが、怪し曲者捕らえられてしまった。豪族の家では、曲者息子)を捕らえて打ち首にし、姫もその曲者殺されと言いふらして二人遠くに旅立たせ、身代わりに馬二頭埋没した旅の途中で長者息子は病に倒れ一人故郷戻った姫は、自分たちの身代わりになった二頭の馬を哀れに思い冥福祈りながら、この世去った月日経ち、事の真相知った長者金光明寺十一面観音堂を建て観世音菩薩像祀り供養をした。その後馬の神様として多く絵馬奉納されているのが芦名神社である。

※この「鹿角三姫の由来」の解説は、「鹿角三姫」の解説の一部です。
「鹿角三姫の由来」を含む「鹿角三姫」の記事については、「鹿角三姫」の概要を参照ください。

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