鶉合わせ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/04 04:15 UTC 版)
中世には武士階級の間で鳴き声を競い合う「鶉合わせ」が盛んに行われた。おおむね桃山時代に始まり特に江戸時代には都市部では飼育がブームとなり大正時代まで行われた(最盛期は慶長から寛永年間あるいは明和から安永年間とされている)。 江戸時代には財産のある武士や商人は良き鶉を高値で売買し、飼育の籠に金銀螺鈿の蒔絵細工を施し、高価な木材と高度な技術を追求したような贅沢な逸品を競い求めた。鶉合わせには多数の庶民も見物に集まり、関脇・大関などいわゆる番付表によるランキングも発表された。これにより飼育ブームはますます過熱し贅沢も追及され、幕府による取締りも行われた。 明治時代にも各地で鳴き声を競う催しが頻繁に開かれたが、この起源となったナキウズラは絶滅してしまった。 「向きあふて 鳴くや鶉の 籠二つ」 - 正岡子規 この飼育ブームに関して、宇野信夫の作で六代目三遊亭圓生の落語に「鶉衣」という噺がある。また、前述の鶉籠の形状が、当時の歌舞伎の客席の桟敷に似ていたため、桟敷席の事を「鶉籠」「鶉」と呼んだ。
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