鵜住神社とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 鵜住神社の意味・解説 

鵜住神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/13 14:21 UTC 版)

鵜住神社

拝殿
所在地 岩手県釜石市鵜住居町第13地割28番地
位置 北緯39度19分29秒 東経141度53分2秒 / 北緯39.32472度 東経141.88389度 / 39.32472; 141.88389 (鵜住神社)座標: 北緯39度19分29秒 東経141度53分2秒 / 北緯39.32472度 東経141.88389度 / 39.32472; 141.88389 (鵜住神社)
主祭神 品牟陀和気命
大山祇命
創建 1690年元禄3年)
例祭 旧8月17日
地図
鵜住神社
テンプレートを表示
1番鳥居

鵜住神社(うのすみじんじゃ)は、岩手県釜石市鵜住居町にある神社。東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)で発生した津波により甚大な被害を受けた。

祭神

歴史

1690年元禄3年)勧請2011年平成23年)3月に発生した東日本大震災で鳥居3基(木製2、石製1)と神輿3基を消失。鳥居は半年後に1基、翌年に1基、2017年12月に3基目の1番鳥居を復元した。1番鳥居は高さ約5メートルの柱に銅板加工を施した笠木を渡す[1]2018年(平成30年)から翌2019年にかけてNHK年越し番組ゆく年くる年』で生中継された[2]

文化財

有形文化財(県指定)

  • 木造十一面観音立像(2012年〈平成24年〉11月13日 指定)
像背銘から室町時代後期、1510年永正7年)の作とされ、上閉伊地区における最古の年号を持つ仏像。観音堂は、明治以前は一段上の地に祀られていたもので、津波で鵜住居市街地が壊滅した一方、当社(元観音堂)は無傷で鎮座し続けている。観音堂はもともと安全な位置に建てられ、参道は避難路に、祭礼は自然に避難訓練も兼ねていた。実際に多くの市民が当社に上がり難を逃れた。2012年(平成24年)11月13日、県から有形文化財に指定された[3]

天然記念物(市指定)

  • 夫婦クロベ(1978年〈昭和53年〉11月28日 指定、2016年〈平成28年〉12月26日 指定解除)
1690年(元禄3年)の神社の勧請の際に植えられたと伝えられ、樹齢は300年余であり1978年(昭和53年)11月28日に市文化財(天然記念物)に指定された[4]2016年時点で本殿に向かって右側の樹高は28メートル、幹周472センチメートル、根元周550センチメートル。二股になった左側は樹高30メートル、幹周407センチメートル、根元周460センチメートルの巨木だった。しかし東日本大震災以降、樹勢の衰えが加速し、2016年12月に文化財指定を解除され、翌年1月伐採された[5]

無形民俗文化財(市指定)

  • 鵜住居虎舞(2012年〈平成24年〉11月28日 指定)
伝承者は江戸時代中期頃の創始と伝えている。当社に奉納する虎舞であり、当社祭典には神輿の供として参加する。昭和初期に、銅版が巻いてある「巳之松」の銘が刻まれた横が発見され、言い伝えなどから江戸時代末期のものであると推測されている。2012年11月、市から無形民俗文化財に指定された[6]

現地情報

所在地
交通アクセス
周辺

脚注

関連項目

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「鵜住神社」の関連用語

鵜住神社のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



鵜住神社のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの鵜住神社 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS