鯖の道冷たき手足もていそぐ
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季 節 | 冬 |
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前 書 | |
評 言 | 年間、二百本もの鯖を食べる落語家を知っている。彼にとって鯖は食そのものなのだ。 魅力的な魚である。日本のほとんどの沿海で獲れ、生食はもとより煮て焼いてサバ節にして、と沢山の調理法で食卓を賑わしてくれる。「鯖の生腐れ」というが、その言葉がかえって青々とした鯖の新鮮さを強調するキャッチフレーズになっている部分もあるのではないか。鯖の刺身が一番好きだという漁師に獲れ立てでも時によって当ると聞いた。鮮度ばかりが問題でもなさそうだ。 「京は遠ても十八里」 古来、若狭湾あたりで揚がった魚介は、すぐ塩をして十八里(約七〇キロ)離れた京都へ運ばれた。その道筋を鯖の道・鯖街道と呼んだらしい。 塩漬けにしてあるとはいえ、一刻も早く目的地へ、と行商人たちは夜明け前に地元を立ち、歩き続けて夕方には京の都へたどり着いたという。 掲句は、その道中の景であろう。帰り道ならそれ程急ぐこともあるまい。十八里を十八時間つまり時速四キロの歩行ペースでは間に合わない。ほとんど小走りに近い速度で、潮の滴る重い荷を背負い彼は前のめりに歩いているのだ。 立ち止まることはあまりなかったに違いない。向こうに着けば束の間の休息がある。それまでの辛抱だ。手や足が冷えきっていても身の内には熱い命が息づいている。陽がかたむいて薄暗くなりはじめた山路を、彼は一心不乱に京へと急ぐ、急ぐ。 <写真・青木三明> |
評 者 | |
備 考 |
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