鬼の牛島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 15:20 UTC 版)
その柔道の荒々しさ、性格の豪放さは語り草で、「鬼の牛島」「不敗の牛島」と謳われ、対戦相手からは「猛虎」と恐れられた。鷲のような鋭い眼光で、睨まれるだけで射すくめられたという。 朝は60kgあるローラーを牽きながら走り込み、夜は裸で大石を抱え上げて筋肉を鍛えた。さらに茶の葉を噛んで自身を奮い立たせ、大木に体当たりを繰り返した。そして仕上げはその大木に帯を縛り付けて背負い投げ千本の打ち込みをした。 試合前夜にはスッポンの血を飲み、当日はマムシの粉を口に含んで試合場に上がる。開始の合図と同時に突進して相手に躍りかかり、徹頭徹尾、攻めて攻めて攻め続ける。この攻撃精神が牛島柔道の信条であり、愛弟子の木村政彦にも受け継がれている。 1934年の皇太子生誕記念天覧試合では試合前から肝吸虫に体を冒され、体重が9kgも減って歩く事すらままならない状態だったが、精神力でカバーするために洞窟に籠もって1カ月間そこで坐禅し、宮本武蔵の『五輪書』を朗唱して試合に備えた。体が動かぬのを精神で補おうという決意であったが、結局牛島は敗れてしまった。この病気さえなければ間違いなく優勝は彼だったとも言われている。
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