騎馬兵とは? わかりやすく解説

騎馬兵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 16:00 UTC 版)

元寇」の記事における「騎馬兵」の解説

文永の役で元側が馬を戦場使用したことは『蒙古襲来絵詞』や『八幡愚童訓』からも窺え、『高麗史』にも高麗南部日本侵攻用い軍馬のための糧抹を配給するアウルク(奥)が設置されていることからも、軍馬文永の役使用されたことは間違いないが、正確な軍馬の数は不明。 『蒙古襲来絵詞』絵八の麁原に陣を布く元軍の騎乗率は約17%で『八幡愚童訓』でも元軍の左副都元帥劉復亨思われる人物の廻り記述に「十四五騎うちつれ徒人七八十人あひ具して…」 とあり、騎乗率を約1517%ほどとしている。なお、室町時代日朝著した日蓮の『立正安国論』の注釈書安国論私抄』(文明11年1478年擱筆第一巻蒙古詞事」(の「文永十一蒙古日本地事」)には「或記云」として、文永の役での日本軍捕虜となった元兵の証言によれば、元軍の構成軍船総数240艘で、1艘につき兵300人、水夫70人、軍馬5匹であったとしている。 また、対す日本軍は、陸戦においては騎兵密集させた集団戦っていた。そのことは、クビライ仕えた王惲が日本軍様子を「騎兵結束す」 と記していることや『蒙古襲来絵詞』絵五に騎兵密集させて突撃する日本軍様子描かれていることからも窺える。 なお、両軍使用した軍馬は、日本在来馬モンゴルモウコウマともに体高としては120〜140cmほどであり、体格に差は無かった鎌倉時代日本の鐙東京国立博物館所蔵 モンゴル馬具(鐙)高さ14cm、直径13.5cm、重さ2kg元寇史料館所蔵 モンゴル馬具(鐙)高さ14.5cm、直径14.5cm、重さ2kg元寇史料館所蔵 モンゴル馬具(鐙)高さ14.5cm、直径14.5cm、重さ2kg元寇史料館所蔵 モンゴル馬具(鐙)高さ14.5cm、直径14.5cm、重さ2kg元寇史料館所蔵

※この「騎馬兵」の解説は、「元寇」の解説の一部です。
「騎馬兵」を含む「元寇」の記事については、「元寇」の概要を参照ください。

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