青森市立油川中学校とは? わかりやすく解説

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青森市立油川中学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/04 21:00 UTC 版)

青森市立油川中学校
北緯40度51分15.8秒 東経140度41分15.9秒 / 北緯40.854389度 東経140.687750度 / 40.854389; 140.687750座標: 北緯40度51分15.8秒 東経140度41分15.9秒 / 北緯40.854389度 東経140.687750度 / 40.854389; 140.687750
国公私立の別 公立学校
設置者 青森市
設立年月日 1947年4月22日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード C102210000088
中学校コード 020019
所在地 038-0058
青森県青森市大字羽白沢田471
外部リンク 青森市立油川中学校
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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青森市立油川中学校(あおもりしりつ あぶらかわちゅうがっこう)は、青森県青森市の北西部、松前街道沿いの油川地区の中心に位置する公立中学校。所在地は羽白字沢田471。

概説

油川は古くは大浜と呼ばれており、非常に古い歴史を持っている。生徒は一人暮らしの高齢者の家の除雪作業を行ったりと地域に根ざした活動をしている。また、逆に部活や学校の行事の際には、地域の住民は協力をしており、学校と地域は強く結びついている。その成果もあり近年の卓球部は全国大会の常連選手も輩出するなど活躍している。 団体競技でもサッカー部が2期連続で中体連県大会出場、第24回U-15フットサル選手権東北大会に出場し、3位という輝かしい成績を残している。

現在の油川中学校付近は古くは寺野内村という村であり、現在の校庭部分には初代森山弥七郎の供養碑が古くは存在していた。明治に入り洋式牧場として使われるようになったが、1935年に青森飛行場が建設され供養碑も移転した。1948年からその供養碑は浄満寺境内に移転している。誰が建立したのかははっきりしないが、3代目弥七郎が油川湊目付を務めた際に、先々代の遺徳を偲んで建立したものとも言われている。

学校を挙げた活動も行われており、老人施設で高齢者の補助をしたり、難病でアメリカに行こうとしている子どもの募金活動、カンボジアへの募金活動などを行ったりと社会福祉活動も多く行っている。

沿革

学区

油川、羽白、岡町、西田沢、新城字天田内、富田4丁目の一部、新田3丁目の一部。

アクセス

周辺

出身者

脚注

  1. ^ 『青森県教育史 別巻』(青森県教育委員会・1973年12月20日発行)「学校沿革 (二)中学校」869頁「油川中学校」
  2. ^ 東奥日報』1978年10月19日付夕刊1面「けさ、油川中(青森)が全焼」記事。
  3. ^ a b 東奥日報』1978年10月20日付朝刊15面「油川中全焼 放火の疑い強まる」記事。

参考資料

  • 『新青森市史 別編教育(別巻) 年表・学校沿革』(青森市・2000年3月発行)「学校沿革 (二)中学校」229頁「油川中学校 変遷」




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