震災紀念堂
名称: | 震災紀念堂 |
ふりがな: | しんさいきねんどう |
登録番号: | 21 - 0089 |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 棟 |
構造: | 木造平屋建、瓦葺、建築面積175㎡ |
時代区分: | 明治 |
年代: | 明治26 |
代表都道府県: | 岐阜県 |
所在地: | 岐阜市若宮町2-10 |
登録基準: | 造形の規範となっているもの |
備考(調査): | 明治24年の濃尾地震による罹災者を弔うために建造された。 |
施工者: | |
解説文: | 市街地にあり,ほぼ南面して建つ。入母屋造,桟瓦葺,正面唐破風造の向拝付で,平面は外陣,内陣及び余間の構成になり,側廻りは角柱に舟肘木を載せる。震災紀念堂としては我が国最初のもので,外観,内部とも浄土真宗本堂形式を基調としている。 |
震災紀念堂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/09 07:57 UTC 版)
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震災紀念堂 | |
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情報 | |
用途 | 慰霊施設 |
管理運営 | 宗教法人紀念堂 |
構造形式 | 木造(入母屋造、瓦葺) |
建築面積 | 175 m² |
階数 | 平屋建 |
開館開所 | 1893年10月27日 |
所在地 | 〒500-8828 岐阜県岐阜市若宮町2丁目10番地 |
座標 | 北緯35度25分13.0秒 東経136度45分43.3秒 / 北緯35.420278度 東経136.762028度座標: 北緯35度25分13.0秒 東経136度45分43.3秒 / 北緯35.420278度 東経136.762028度 |
文化財 | 登録有形文化財 |
指定・登録等日 | 2006年8月3日 |
震災紀念堂(しんさいきねんどう)は、岐阜県岐阜市若宮町2丁目10番地にある慰霊施設。
1891年(明治24年)に発生した濃尾地震の犠牲者を慰霊する施設であり、管理は宗教法人紀念堂。仏教(浄土真宗)により祭祀されている[1]。
歴史
1891年(明治24年)10月28日に岐阜県本巣郡西根尾村(現・本巣市)を震源地として発生した濃尾地震は、岐阜県内だけで約5,000人が犠牲となった。この犠牲者を慰霊、及び地震当時の状況を後世に伝える施設として、衆議院議員で元真宗大谷派僧侶[2]の天野若円が中心となり、1893年(明治26年)10月27日に震災紀念堂が建立された。建設費は全国からの寄付金で賄われた。
2017年(平成29年)時点で建物の管理は天野若円の子孫が行っており、祥月命日(地震発生日の10月28日)と月命日には法要が行われている。2010年(平成22年)からは祥月命日の法要後、濃尾震災紀念堂保存機構主催の講演会も開かれている[3]。
建築
建物は入母屋造、正面は唐破風造。外観、内部とも浄土真宗本堂形式に基づいている。本尊は阿弥陀如来像。2006年(平成18年)8月3日には国の登録有形文化財に登録された[4]。
交通アクセス
脚注
- ^ “大量保有報告書(レシップ株式会社)”. 宗教法人紀念堂 (2005年12月19日). 2017年10月29日閲覧。
- ^ 当時の衆議院議員選挙法では僧侶に被選挙権が無かったため、立候補する際に僧籍を離脱している。後の1907年に僧籍復帰。
- ^ “濃尾地震125年、語り継ぐ 震災紀念堂で法要”. 岐阜新聞. (2016年10月29日). オリジナルの2016年10月30日時点におけるアーカイブ。 2017年10月29日閲覧。
- ^ 震災紀念堂 - 文化遺産オンライン(文化庁)
関連項目
外部リンク
- 震災紀念堂のページへのリンク