電気の到来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/17 10:12 UTC 版)
ヘレス・デ・ラ・フロンテーラが最初に電気式の街灯を導入してから、アーロも電気式街灯を導入した。(なお、1990年にこれを記念してヘレス・デ・ラ・フロンテーラと姉妹都市連携を結ぼうとしたが、取りやめとなった。)そして、この時代に、「アーロ、パリそしてロンドン」、「ようやく明かりのあるアーロに到着したよ」(賛歌の歌詞にも含まれている)、というフレーズが生まれた。1877年8月26日に、アーロのラ・ミネルバ(La Minerva)という製粉-肥料工場に電灯が初めて設置された。その電灯は、サンタンデールのコルコー・エ・ヒホース(スペイン語版)社によって作られた発電機によるものであった。そのころ社は時代の流れでオーストリア-ハンガリー式(製粉機)から工業的電灯を試作するその地方初の工場に変わっていた。1888年頃、ガス灯による街路灯には問題があったので、1889年1月のはじめ、電灯の設置に関する議案が議会に提出され、調査委員会が作られた。その年の12月31日、電気による公共の街路灯の敷設のための最初の基礎工事が行われた。1890年1月31日に、ようやく最初の電灯の場所や拠点が発表された。1月26日にはフランスのベニート市長によって承認され、その後3月10日にその装置に対する最初の競売では入札者がひとりも現れないことがわかった。その出品番号は業務による報酬を改善して、5月15日に再び入札を提示、そしてゴンサロ・エルナンデス・スビアウレだけが現れ、その人と5月23日に契約を正式に結ぶこととなった。それらは夜通し照明する1000燭光の強さのアーク灯電灯8個および16燭光の白熱電球260個であったに違いなかった。そして発電機は直流でなければならなかった。1890年9月7日、ついに平和の広場にて、電気式街灯の本格的な最初の設置が完了し、実用化となる予定だったが、またもや光の機能に問題があったので修理され、1891年1月1日にようやく、平和の広場の初の本格的な電気式街灯が、実用化した。
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