雪の日の美濃も信濃もなく暮れぬ
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出 典 |
山童記 |
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評 言 |
日本アルプスの背骨のあたり、このあたりの雪は相当に深い。上空から見下ろせば、県境がどこかも見当はつかぬ。いま行政上では美濃は岐阜県南部、信濃は長野県と規定されているが旧国名で見分けるのはいよいよ難しい。しかし同じように見えて美濃一国と信濃一国では地勢学的特長も歴史的事実も全然違う。産業も文化もひとの暮らしも違う。日本のように狭い国土のなかで長良川と信濃川の生い立ちからして違うのだ。そして俳人の彼の地へ寄せる思いもまた異なるのであろう。それが、雪の日には何隔てなく一面無垢な銀世界へと包み隠されてしまう不思議・・・ 大串章氏の第二句集『山童記』(1979年刊行)から採った。第一句集『朝の舟』で俳壇での一通りの評価を得たあと、のびのびと《木曽讃仰》の渾身の力作をぶつけてきたのが本著である。師・大野林火ゆずりの木の国、山国のみずみずしい抒情を展開する一方で、木曽山中の深浅の位置的構成美の巧みさに感服させられた。 木曽晴れて樹々の雪空へ還りゆく 義仲の旗上げの山吹雪くかな 小鳥引く木曽路は細き人の道 若鮎に朝日さばしる杉の山 木曽人の頬切りつけし稲びかり 山国の花火も水を恋ひて散る そして件の一句に戻るのだが、これほど木曽路を熟知する作者にして、句集冒頭では「美濃も信濃もなく暮れぬ」と、その未分明の昏さをあえて言っている面白さ…。 |
評 者 |
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備 考 |
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