大野林火とは? わかりやすく解説

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おおの‐りんか〔おほのリンクワ〕【大野林火】

読み方:おおのりんか

1904〜1982俳人神奈川生まれ本名、正(まさし)。臼田亜浪(うすだあろう)に学び俳誌石楠(しゃくなげ)」に作品発表第二次大戦後、俳誌「浜」を創刊し主宰句集に「冬青集」「早桃」、評論に「高浜虚子」など。


大野林火

読み方おおの りんか

俳人神奈川県生。本名は正(まさし)。東大経済学部卒業臼田亜浪師事し俳誌石楠」に俳句評論発表昭和14年第一句集海門出版21年俳誌『浜』を創刊し主宰後進の指導に当ったほか「俳句研究」「俳句」の編集長をつとめるなど中正的確な鑑賞力定評がある。53年俳人協会々長。『大野林火全句集』の著書がある。昭和57年1982)歿、79才。

大野林火

大野林火の俳句

あけぼのや花に会はむと肌着換へ
あはあはと吹けば片寄る葛湯かな
あをあをと空を残して蝶分れ
こがらしのさきがけの星山に咲く
こがらしの樫をとらへしひびきかな
さみだるる一燈長き坂を守り
ねむりても旅の花火の胸にひらく
みちのくの頭良くなる湯に夜長
一燈にみな花冷えの影法師
人の行く方へゆくなり秋の暮
冬雁に水を打つたるごとき夜空
凧の空微塵もなかりふるさとは
命ありて立つ長城の薫風に
子の髪の風に流るる五月来ぬ
山々のみな丹波なる良夜かな
山ざくら水平の枝のさきに村
日向ぼこ佛掌の上にゐる思ひ
春塵の衢落第を告げに行く
月夜つづき向きあふ坂の相睦む
本買へば表紙が匂ふ雪の暮
梅雨見つめをればうしろに妻も立つ
毛糸編む母子の世界病みて知る
淡墨桜風たてば白湧きいづる
炎天に怒りおさへてまた老うも
燈籠にしばらくのこる匂ひかな
白き巨船きたれり春も遠からず
百日紅この叔父死せば来ぬ家か
秋の暮笑ひなかばにしてやめぬ
秋立つやこつこつと越す跨線橋
紙漉のこの婆死ねば一人減る
萩明り師のふところにゐるごとし
落花舞ひあがり花神の立つごとし
蓬髪のわれよりたかく蘆枯れたり
路次ふかく英霊還り冬の霧
雪の水車ごつとんことりもう止むか
雪ふる夢ただ山中とおもふのみ
霜夜来し髪のしめりの愛しけれ
青嶺聳つふるさとの川背で泳ぐ
風立ちて月光の坂ひらひらす
飛騨涼し北指して川流れをり
鳥も稀の冬の泉の青水輪
鳴き鳴きて囮は霧につつまれし
鴨群るるさみしき鴨をまた加へ
鶏頭を抜けばくるもの風と雪
 

大野林火

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/15 07:18 UTC 版)

大野 林火(おおの りんか、1904年3月25日 - 1982年8月21日[1])は、昭和期の俳人。本名は大野正(おおの まさし)。

略歴

神奈川県横浜市生まれ。旧制県立横浜第一中学校旧制第四高等学校を経て、1927年東京帝國大学経済学部を卒業。大学卒業後は日本光機工業に入社。1930年に会社を辞めて神奈川県立商工実習学校(現・神奈川県立商工高等学校)教諭となる。当時の教え子に、後に高弟となる宮津昭彦がいる。中学時代より鈴木三重吉佐藤春夫の抒情詩に傾倒。俳句は中学時代の1920年、親友の荻野清(のち俳文学者となる)の父から手ほどきを受け、1921年、荻野の勧めをうけて「石楠」に入会、臼田亞浪に師事する。

1939年、句集『海門』(交蘭社)を上梓、本格的に俳人としての地位を築く。この頃より水原秋櫻子加藤楸邨らとも積極的に交流を行う[2]。1946年、「」を創刊、主宰。同年、『俳句研究』『俳句の国』の編集に携わる。1948年、教職を辞し俳句一筋の生活となる。1953年より角川書店俳句』編集長を務める(同年11月号から1956年12月号まで)。1956年、横浜俳話会発足に参加(発起人のひとり。のちに幹事長)[3]

1964年、第13回横浜文化賞、1969年、第三回蛇笏賞(『潺潺集』他)、1973年、第22回神奈川文化賞受賞。1974年愛媛俳壇選者。1978年、俳人協会会長に就任。1980年朝日俳壇選者。同年、俳人協会訪中団団長を務め、日中文化交流にも力を尽くした[2]。代表句は「本買へば表紙が匂ふ雪の暮」「ねむりても旅の花火の胸にひらく」「雪の水車ごつとんことりもう止むか」など。清新な叙情性を持つ句で知られた。優れた指導者でもあり、主宰誌「濱」からは多数の著名俳人を輩出。また草津市の療養所栗生楽泉園ハンセン病患者の句会を指導し村越化石を見出した点でも評価される。

作品

  • 『海門』交蘭社(1939年)
  • 『現代俳句読本』艸書房、1940
  • 『冬青集』三省堂(1940年)
  • 『現代の秀句 鑑賞と作家』三省堂 1941
  • 『高浜虚子』七丈書院 1944
  • 『早桃 自選句集』目黒書店(1946年)
  • 『冬雁』七洋社 1948
  • 『白幡南町』近藤書店(1958年)
  • 『虚子秀句鑑賞』1959 角川新書
  • 『雪華』牧羊社 1965
  • 『近代俳句の鑑賞と批評』明治書院 1967
  • 『自選自解大野林火句集』白凰社(現代の俳句) 1968
  • 『潺潺集 句集』角川書店 1968
  • 『春の俳句 俳句鑑賞歳時記』明治書院 1973
  • 『飛花集 句集』東京美術 1974
  • 『大野林火集』俳人協会(自註現代俳句シリーズ) 1978
  • 『行雲流水 私の俳句歳時記』明治書院 1979
  • 『方円集 句集』角川書店 1979
  • 『大野林火全句集』明治書院 1983
  • 『大野林火集』俳人協会(脚註名句シリーズ) 1990
  • 大野林火全集』全8巻 梅里書房 1993-94

出典

  • 大串章 「大野林火」 『現代俳句事典』普及版、三省堂、2008年、101-103頁
  • 遠藤若狭男 「大野林火」 『現代俳句ハンドブック』 雄山閣、1995年、23頁

個別参照

  1. ^ 大野林火』 - コトバンク
  2. ^ a b 邑書林句集文庫版『海門』著者紹介 邑書林、1998年。 ISBN 9784897092812
  3. ^ 「俳話会の歴史」-横浜俳話会のウェブサイト

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