隈取の発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/27 07:54 UTC 版)
初代市川團十郎が坂田金平を主人公にした人形浄瑠璃の台本を舞台用にしたものを上演する際、人形からヒントを得て、紅と墨で描いたのが最初の隈取だった。この時点での隈取は、派手な荒っぽいものであったと考えられる。 隈取の特徴である「ぼかし」の技法は、二代目市川團十郎が牡丹の花を観察して考案したものと言われ、以後の隈取はより一層洗練されていくことになる。 江戸の荒事の中で隈取が発展する際に参考となったのが、仁王像などに代表される仏像の誇張された筋肉表現と能面の洗練された表情の表現だった。 一方、上方の和事を中心とした凝った筋書きの芝居の影響によって、隈取も荒々しいだけでなく色気を意識するようになる。歌舞伎の色男の代表格『助六』の主人公で「むきみ」の隈取も色っぽい花川戸助六は、現在こそ威勢のいい江戸男として知られるが、もともと上方歌舞伎で創成された役どころである。 今日伝わる隈取の多くは九代目市川團十郎の門弟・ 三代目市川新十郎により残された。古今東西多くの隈取を熟知していた新十郎は、太田雅光の協力で研究書『歌舞伎隈取』を著した。その弟子の中村秀十郎は、臨終時の新十郎の顔に隈が浮かび現れ、いくら洗っても消えなかったと述懐している。 スポーツ用品メーカーアシックスが、陸上競技用ブランドGONAのシューズをはじめ、野球のバッティンググローブ、オニツカタイガーのシューズ、アパレルなどにデザインとして採用していた時期がある。一方で、隈取の意匠を正しく理解しないデザインも流布しており、松竹は「日本が誇る「歌舞伎」の本来のイメージや価値が必ずしも正しく認知されていない現状を懸念しております」「「標準的」な隈取を追求し、基準とする立体見本と、これに基づく隈取図案を製作、保有し、普及をはかっています」としている。
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