陸軍省主導による臨時脚気病調査会の設置とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 陸軍省主導による臨時脚気病調査会の設置の意味・解説 

陸軍省主導による臨時脚気病調査会の設置

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 22:20 UTC 版)

日本の脚気史」の記事における「陸軍省主導による臨時脚気病調査会の設置」の解説

陸軍から多数犠牲者出たものの、日露戦争が終わると、世論医学界脚気問題への関心急速に薄れてしまう。世の関心は、凱旋将兵歓迎行事に、医学界関心は、「医師法改正法案」問題移っていた。『医海時評』が脚気問題取り上げ続けて孤軍奮闘する中(ときには火に油を注ぐようにして陸海軍対立あおった)、1908年明治41年)、脚気原因解明目的とした調査会陸軍省設置された(同年5月30日勅令139号「臨時脚気調査会官制」が公布され7月4日陸軍大臣官邸発足式)。当時陸軍大臣であった寺内正毅伝記によると、発案者陸軍省医務局長に就任してまもない森林太郎(ただし日清戦争のとき、石黒野戦衛生長官同調)で、寺内自身熱心に活動したという。その臨時脚気調査会は、文部省学術研究所管)と内務省衛生問題所管)から横槍入ったものの、陸軍大臣監督する国家機関として、多額陸軍費がつぎ込まれた。 発足当初調査会は、会長医務局長)と幹事大西次郎医務局衛生課長)委員17名、臨時委員2名(青山胤通東京帝国大学医科大学長、北里柴三郎伝染病研究所長)の計21名で構成された。委員17名の所属を見ると、いち早く麦飯採用していた海軍から2名の軍医参加したほか、伝染病研究所3名、陸軍軍医6名、京都帝大1名、東京帝大3名、医師2名(日本医史学大家富士川游医学博士岡田栄吉)であった研究の成果は、陸軍省第一会議室などで開かれる総会委員会)で、定期的に発表された。

※この「陸軍省主導による臨時脚気病調査会の設置」の解説は、「日本の脚気史」の解説の一部です。
「陸軍省主導による臨時脚気病調査会の設置」を含む「日本の脚気史」の記事については、「日本の脚気史」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「陸軍省主導による臨時脚気病調査会の設置」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「陸軍省主導による臨時脚気病調査会の設置」の関連用語

陸軍省主導による臨時脚気病調査会の設置のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



陸軍省主導による臨時脚気病調査会の設置のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの日本の脚気史 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS