関西線平野駅列車脱線転覆事故
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「日本の鉄道事故 (1950年から1999年)」の記事における「関西線平野駅列車脱線転覆事故」の解説
1973年(昭和48年)12月26日 関西本線平野駅構内を走行中の湊町(現:JR難波)発奈良行き上り普通722K列車(113系電車6両編成)の運転士は、8時12分ごろ、上り第1閉塞信号機の減速信号および平野駅場内信号機の注意信号の確認を欠き、分岐器に対する制限速度を超過したまま運転し、平野駅3番線で第56号転轍機にさしかかった際に制限速度35 km/hを超過していることに気付き、非常ブレーキを使用した。当該列車は、第56号転轍機のトングレール先端から34 m進入した上り本線と上下待避線のわたり線で進行右側に脱線、196 m進行して停止した。先頭車両(クハ111-55)が全軸脱線、車体が進行右側に横転転覆、2 - 6両目車両も全軸脱線転覆し、3名が死亡、149名以上(156名とも)が重軽傷を負った。当該列車が関西線では快速運用に入ることが多かった113系電車による編成だったことから運転士が平野駅を通過する快速と勘違いしており、制限速度35 km/hの分岐器を70 km/h以上で通過したことによる。また722K列車の運転士は意識朦朧となった状態で運転したとみられる。 この事故を契機に関西本線における113系の運用はJR発足まで長らく快速運用に限定されることになる。さらに関西本線ではトランスポンダ式Pとの比較で廃止された変周式ATS-Pの長期試験も実施された。事故列車の先頭車は廃車となった。なお、JR西日本発足後に登場し主に快速で使用される221系では同線の普通列車の運用も存在している。
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