関東大震災による被害と復興
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 18:58 UTC 版)
「江東区立図書館」の記事における「関東大震災による被害と復興」の解説
開館後は深川区民をはじめとする多くの市民に受け入れられ、連日多くの入館者があった。また、八角形構造と長方形構造を組み合わせた建物と並んで特徴的であったのは半開架式と呼ばれる図書の閲覧方式であった。当時はまだ閉架式が主流を占めていたのに対し、深川図書館では金網またはガラス越しに本を選び、図書館員から本を受け取る方式としていたのである。 1913年(大正2年)までには、19館の市立図書館(大部分は小学校併設であり、日比谷と深川のみが独立図書館であった)が開設され、1915年(大正4年)の東京市訓令第6号において市立図書館運営の一元化が実現し、日比谷図書館を除いて閲覧料を廃止、また市内図書館間における相互貸借制度などが実施されることとなった。 1923年(大正11年)9月1日に発生した関東大震災では、深川図書館をはじめとして多くの図書館建物や書籍等が焼亡し、罹災図書数は深川図書館だけで16,511冊に及んだ。震災後は深川公園内にテントによる応急的な図書館施設が設営され、その後東京市では深川をはじめとする5館について応急復旧させることとし、震災翌年の1924年(大正13年)6月1日にはバラック作りながら、通常通りの時間帯に閲覧可能なまでに復旧した。 しかし、バラック作りの応急的な建物であったため、図書館の書籍保存等には向かない建物であり、1926年度(大正15年)から3年をかけて、同じく被災した一橋、京橋の両館とともに新たな図書館を建設することとなった。また、深川図書館については深川公園の地から清澄庭園内に移転することも併せて決定された。1927年(昭和2年)4月に着工し、1928年(昭和3年)6月には鉄筋コンクリート造3階建ての建物が完成した。
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