長期信用銀行制度誕生の経緯と沿革
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「長期信用銀行」の記事における「長期信用銀行制度誕生の経緯と沿革」の解説
太平洋戦争前、設備資金や長期運転資金の融資は特殊銀行の業務であった。戦後、GHQは占領政策の一環として、これら特殊銀行を解散させるか普通銀行へ転換(債券の発行は認められた)させるかを指令し、長期資金については資本市場に委ねる方針を採った。しかしこの結果、戦後復興の進展もあって、各銀行は預金量を超えて融資する「オーバーローン」の状態に陥った。そこで、かつての特殊銀行にあたる長期融資を担う金融機関の必要性が叫ばれ、1952年に長期信用銀行法が制定された。 長期信用銀行制度の発足にあたり、動向が注目されたのは、特殊銀行から普通銀行に転換した日本興業銀行(興銀)、日本勧業銀行(勧銀)、北海道拓殖銀行(拓銀)であったが、興銀が長期信用銀行への転換を表明したのに対し、勧銀と拓銀は普通銀行にとどまり、新設される長期信用銀行に協力する姿勢をとった。さらに、旧朝鮮銀行(鮮銀)の社員有志も、清算で残った財産を元に「不動産を担保に長期融資を行う銀行」の設立構想に動いた。 こうして、1960年までに、日本興業銀行、勧銀・拓銀の資本の一部を母体に設立された日本長期信用銀行(長銀)、旧鮮銀系の日本不動産銀行(のち日本債券信用銀行(日債銀)に改称)の3行が設立された。長期信用銀行は、当時より長期信用銀行法附則7にて、国による優先株式の取得が認められていた。 1989年のバブル崩壊を受け、1998年に長銀と日債銀が破綻し国有化された。それぞれ第三者に売却後新生銀行とあおぞら銀行となり、興銀はみずほグループの再編成に伴い富士銀行に吸収合併され、みずほコーポレート銀行(みずほコーポレート銀行は都市銀行扱い)に継承され消滅した(興銀については法人格も消滅)。2004年4月1日に新生銀行が普通銀行に転換し、最後の長信銀となったあおぞら銀行も2006年4月1日に普通銀行へ転換した事に伴い、長期信用銀行法に基づく銀行は消滅した。
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