鉱夫のための安全灯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 01:21 UTC 版)
「ジョージ・スチーブンソン」の記事における「鉱夫のための安全灯」の解説
そのころの炭鉱では明かりとして焚いた火のせいでしばしば爆発が起きていた。1815年、スチーブンソンは爆発を起こさない安全なランプの実験を始めた。同じころコーンウォール出身の著名な科学者ハンフリー・デービーも同じ問題の解決策を捜していた。科学知識のないスチーブンソンは試行錯誤の末、小さな穴から空気を取り入れるランプを考案。2人の証人と共に炭鉱内の可燃性ガスが出ている裂け目にそのランプを差し出して爆発が起きないことを実証した。その1カ月後にデービーが王立協会に自身の設計したランプ(デービー灯)を示している。両者の設計は異なっており、デービー灯は細かい網で囲われていたが、スチーブンソンの安全灯はガラスで覆われていた。この発明でデービーは2,000ポンドを受け取ったが、スチーブンソンはデービーのアイデアを盗んだと告発された。地元の委員会が調査し、スチーブンソンが独自に発明したことを証明したため、スチーブンソンは解放され、デービーの受け取った2,000ポンドの半分をスチーブンソンに渡すよう命じたが、デービーとその支持者らはこれを拒否した。彼らはスチーブンソンのような無学な男がそのような発明ができるはずがないと主張した。1833年、庶民院の委員会が安全灯の発明者としてスチーブンソンにも等しく権利があると裁定した。デービーはそれ以前にスチーブンソンが彼のアイデアを盗んだと信じたまま亡くなっている。スチーブンソンの安全灯は主に北東の地域で使われ、他の地域ではデービー灯が使われた。この経験からスチーブンソンはロンドンを拠点とする科学者への不信を抱くようになった。 北東イングランドのタイン川流域の人々を「ジョーディ」(Geordies) と呼ぶのは、スチーブンソンと関係があるとする説もある。スチーブンソンの安全灯は「ジョーディ灯(英語版)」と呼ばれており、そこからジョーディ灯を使う鉱夫をジョーディと呼ぶようになり、1866年には北東イングランドの人々全般をジョーディと呼ぶようになったという説である。
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