鉄山開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/26 18:04 UTC 版)
他の天神川上流域と同様に、三徳川の上流でも砂鉄の採取とたたら製鉄が行われてきた。 中国山地のなかでもこの地域は特に鉄分(磁鉄鉱)を多く含む花崗岩でできており、風化した花崗岩を山陰側の多雨多雪による急流が侵食することで砂鉄が形成される。 三徳川の上流では、三仏山の門前町である合谷地区(旧称は門前村)や、黒川・坪谷川が合流する坂本地区(旧称は坂本村)には、「鑪(たたら)」の名残を持つ地名や鉱山跡が残る。同様に、小鹿川では最上流の中津地区(旧中津村)、神倉地区(旧神倉村)、加茂川では福田地区(旧小和村)、小河内地区(旧小河内村)、笏賀地区(旧笏賀村)にも鉄山や鑪の名残りの地名が残る。これらは概ね江戸時代中後期(18から19世紀)のもので、鉄山に関する古文書も残されている。特に旧笏賀村の笏賀鉄山跡は50年以上操業されていた記録が残る。 このほか、加茂川の源流域にあたる鉛山地区は、本当は銀(または銅)が産出したが、銀山や銅山は幕府直轄となってしまうために、藩が鉛山と偽称していたと伝わる。 これら上流での鉄山では、鉄穴流しと言って砂鉄を含む土砂を大量に流し、下流での洪水の原因になった。そのため下流側と上流側で争いが絶えず、藩の介入も行われた。 近代になると、これらの地域で高濃度のウランを含有するウラン鉱が発見され、一部ではウラン鉱山の開発が行われた。これらの調査の過程で人形峠付近でウランの露頭が発見され、人形峠のウラン鉱山が拓かれた。
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