鉄山駅 - 大冶駅間
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/23 14:40 UTC 版)
1890年(光緒16年)に、清の政治家であった張之洞は、大冶県鉄山鋪(現・湖北省黄石市鉄山区)に大冶鉱業局を設置し、鉄山で採掘した鉄鉱石を漢陽製鉄所(中国語版)に輸送して精錬するため、鉄道を敷設することを決定した。全長30 kmにも及ぶこの鉄道は、大冶鉄道として1891年春に敷設が始まり、1892年8月に開通した。 1938年2月2日に、日本軍が武漢に侵攻することを知った国民政府の経済部と軍政部は、共同で武漢に「鉄鋼移設委員会」を設立し、漢陽製鉄所や大冶の鉄鉱などの設備を破壊した。破壊後、西にある重慶市へと撤退する最中に、政府軍は路線中にあるすべての橋と、トロッコ12両、現在の黄石市下陸区から江西省宜春市銅鼓県に至る7.5 kmの路盤を爆破した。その後、10月20日に鉄山が陥落した際に、日本製鐵が大冶鉄鉱に「日鐵大冶鉱業所」を設立し、鉄道の復旧を開始した。翌1939年4月3日に再度開通した。
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