鈴木梅太郎のオリザニン発見とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 鈴木梅太郎のオリザニン発見の意味・解説 

鈴木梅太郎のオリザニン発見

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 22:20 UTC 版)

日本の脚気史」の記事における「鈴木梅太郎のオリザニン発見」の解説

農学者鈴木梅太郎は、1910年明治43年6月14日東京化学会で、「白米食品として価値並に動物脚気疾病に関する研究」を報告したニワトリハト白米飼育する脚気様の症状出て死ぬこと、糠と麦と玄米には脚気予防して快復させる成分があること、白米色々な成分欠乏していることを認めた。糠の有効成分に強い興味をもった鈴木は、以後その成分化学抽出目指し努力した同年12月13日東京化学会で第一報報告し、翌1911年明治44年1月東京化学会誌論文「糠中の一有効成分に就て」が掲載された。特に糠の有効成分(のちにオリザニン命名)は、抗脚気因子とどまらずヒト動物生存不可欠な未知栄養素であることを強調しビタミン概念をはっきり提示していた。ただし、糠の有効成分濃縮して樹脂状の塊(粗製オリザニン)を得たものの、結晶には至らなかった。1912年明治45年)、ドイツの『生物化学雑誌』に掲載され論文で、ピクリン酸使用して粗製オリザニンから有効成分分離製出、つまりオリザニン結晶として抽出したこと、その方法などを発表した。 しかし、1911年明治44年10月1日オリザニン販売されたものの、都築のアンチベリベリンがよく売れたのに対し、医界に受け入れられなかった(8年後の1919年大正8年、ようやく島薗順次郎初めオリザニン使った脚気治療報告行った)。なお、上記オリザニン結晶ニコチン酸を含む不純化合物で、純粋単離成功するのが1931年昭和6年であった。その純粋単離成功オリザニン販売され20年後のことであり、翌1932年昭和7年)、脚気研究会香川昇三が「オリザニンの純粋結晶」は脚気特効のあることを報告した

※この「鈴木梅太郎のオリザニン発見」の解説は、「日本の脚気史」の解説の一部です。
「鈴木梅太郎のオリザニン発見」を含む「日本の脚気史」の記事については、「日本の脚気史」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「鈴木梅太郎のオリザニン発見」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「鈴木梅太郎のオリザニン発見」の関連用語

鈴木梅太郎のオリザニン発見のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



鈴木梅太郎のオリザニン発見のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの日本の脚気史 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS